日韓歴史論争

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Re: 尹奉吉の墓

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/12/20 12:48 投稿番号: [3506 / 6952]
>日帝時代に上海「虹口公園義挙」(1932年に尹奉吉義士が上海で爆弾を投げ、日本の要人多数を殺傷した事件)で独立の魂を燃え上がらせた梅軒・尹奉吉(ユン・ボンギル)義士(1908-32年)の遺体発掘前後の過程が収められた写真3枚と日本軍が作成した死体検案書の写しが、尹奉吉義士の殉国74周忌を翌日に控えた18日に公開された。

>また、日本軍が作成した公式文書という点で、殉国場所や時刻に関し学者らの間で生じた見解の相違をめぐる論争に結着をつけるものといえる」と語った。

いや、アジア歴史資料センターで、もっと詳しい文書がとっくに公開済みだから。
つ『尹奉吉刑執行の件』【レファレンスコード   C01002894900】

・・・・・・・

「独立の魂」となって帰還した尹奉吉義士

日帝時代に上海「虹口公園義挙」(1932年に尹奉吉義士が上海で爆弾を投げ、日本の要人多数を殺傷した事件)で独立の魂を燃え上がらせた梅軒・尹奉吉(ユン・ボンギル)義士(1908-32年)の遺体発掘前後の過程が収められた写真3枚と日本軍が作成した死体検案書の写しが、尹奉吉義士の殉国74周忌を翌日に控えた18日に公開された。

  今回、尹奉吉義士の甥にあたる尹洲(ユン・ジュ)月進会副会長(59)が公開した写真には、▲1946年3月4日に日本の金沢市で遺体発掘作業を行っている場面、▲46年3月9日に発掘した遺体を金沢駅から汽車に載せる直前の場面、▲46年6月16日にソウル駅に到着した遺体を運ぶ場面が収められている。特にソウル駅の写真には、駅に到着した尹奉吉義士の遺体を抱える弟の故尹南儀(ユン・ナムイ)先生の姿と、その後ろを歩く白凡・金九(キム・グ)先生の姿も写っている。

  尹洲副会長は「発掘団が駅で撮影した写真と遺体がソウル駅に到着した時の写真を一般公開するのは、今回が初めて」と語った。

  一方、写真とともに公開された尹奉吉義士の死体検案書は、日本軍の軍医によって作成されたもので、尹奉吉義士の死亡時刻を1932年12月19日午前7時40分、殉国場所は日本の石川県石川郡内川村三小牛地域の陸軍作業場と記録されている。

  尹洲副会長は「当時、日本軍は尹奉吉義士を大韓民国臨時政府(独立運動家らにより、1919年に中国上海で樹立された亡命政府)の特攻隊員として扱い、軍法会議を通じて陸軍部隊内で死刑を執行した。また、日本軍が作成した公式文書という点で、殉国場所や時刻に関し学者らの間で生じた見解の相違をめぐる論争に結着をつけるものといえる」と語った。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/12/19/20061219000057.html
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