刺青
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/07/11 19:37 投稿番号: [3082 / 6952]
小ネタですが。
>墨刑を受けた者は「黥徒」といい、終生、顔を上げることができなかった。 秦の始皇帝が自身に不敬な者を捕まえて墨刑にしたことは有名だ。 黥が刑罰に定着しながら入れ墨(文身)は犯罪の象徴になった。
『水滸伝』でも刺青はおなじみですね。犯罪者たちは刺青を「金印」と言い替えていました。
宋の創業の功臣である呼延賛は、自分や妻、使用人の体に「赤心殺賊」と刺青を入れ、子供たちの耳の後ろには「門を出れば国のために家を忘れ、陣に臨んでは主のために死を忘れる」と入れたそうです。岳飛は背中に「尽忠報国」と入れました。
そういえば、宋代には、徴兵で駆り集められた兵も脱走防止のため、額に刺青を入れられました。名前は忘れましたが兵卒上がりで終生刺青を消さなかった武将がいました。たしか契丹かどこかの異民族征討で大功をたてたはずです。
>中国で入れ墨は最初からダブー視されたわけではなかった。 入れ墨の起源は殷の時代だ。文という字も「入れ墨をした人」の形をした殷の象形文字から出てきた。 殷を滅ぼして新しく王朝を築いた周は、殷の習俗をすべて女真族のものとして蔑んだ。 入れ墨も一緒に女真族文化になった。
は?
いつから殷は女真族になったんだ?
「文」の解釈自体はまともなんだが・・・
・・・・・・・
【噴水台】文身
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=77732&servcode=100§code=120
これは メッセージ 1 (ryuckel さん)への返信です.
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