Re: 朝鮮総督府による朝鮮語の普及 ③
投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/27 01:45 投稿番号: [3018 / 6952]
1911年(明治44)の朝鮮教育令により設置されたのは、「朝鮮語及
漢文」という欺瞞的な科目であって、そこでは実際には漢文のみが、あるいは
漢文解釈のたんなる補助手段としての朝鮮語が教えられたにすぎなかった。
しかも「朝鮮語」は、「国語」教育のための補助手段でもあった。そのこ
とは第10条の「朝鮮語及漢文を授くるには常に国語と連絡を保ち時としては
国語にて解釈せしむることあるべし」という規定からもわかる。
たしかに1922年(大正11)の第2次朝鮮教育令では「朝鮮語」が科
目として独立するが、「朝鮮語を授くるには常に国語と連絡を保ち時としては
国語にて話さしむべし」という規定にあるように、「国語」の役割はむしろ強
められてさえいる。
この第2次朝鮮教育令は、日本植民地においていわゆる「武断政治」から
「文化政治」への転換を象徴するものであるが、それは反面、同化政策の強化
を図るものでもあった。
なぜなら、これ以後、「内地人」は「国語を常用する者」、「朝鮮人」は
「国語を常用せざる者」と法的に規定され、朝鮮人の独自の民族性は完全に否
定されたからである。つまり、「国語を常用せざる者」という否定表現は、
「朝鮮人」が国民となるには本質的に何かが欠けた否定的存在でしかないとい
うことを示す。その本質的な何かとは「国語」であった。・・・
こうして、朝鮮人は「朝鮮人」ではなく、ひたすら「同化」されるのを待
つ「国語を常用せざる者」でしかなくなってしまったのである。
さらに、「皇民化政策」のなかで制定された1938年(昭和13)の第
3次朝鮮教育令では「朝鮮語」の教科は正課からはずされ、「仮設随意科目」
とされたが、この措置は実際には「朝鮮語」の授業を廃止に導くに等しかった。
いずれにせよ、日本統治者は、本来の意味での言語教育の目的で「朝鮮
語」の科目を設けたのではない。ある意味で、植民地統治下の朝鮮語教科は、
日本の支配の暴力性を隠蔽するためのアリバイ作りとして設置されていたにす
ぎない。なぜなら、いかに朝鮮語が科目として存在していたとしても、学校の
授業用語はもっぱら日本語だったからである。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
この主張は、黄文雄らの、日本の植民地言語政策を肯定あるいは弁護する
ような主張をくつがえすのに十分ではないかと思われます。
(注1)平凡社『朝鮮を知る事典』1994
(注2)藪景三『朝鮮総督府の歴史』明石書店1994
(注3)朝鮮総督府警務局『朝鮮警察の概要』1927
(注4)イ・ヨンスク『「国語」という思想』岩波書店,1996
漢文」という欺瞞的な科目であって、そこでは実際には漢文のみが、あるいは
漢文解釈のたんなる補助手段としての朝鮮語が教えられたにすぎなかった。
しかも「朝鮮語」は、「国語」教育のための補助手段でもあった。そのこ
とは第10条の「朝鮮語及漢文を授くるには常に国語と連絡を保ち時としては
国語にて解釈せしむることあるべし」という規定からもわかる。
たしかに1922年(大正11)の第2次朝鮮教育令では「朝鮮語」が科
目として独立するが、「朝鮮語を授くるには常に国語と連絡を保ち時としては
国語にて話さしむべし」という規定にあるように、「国語」の役割はむしろ強
められてさえいる。
この第2次朝鮮教育令は、日本植民地においていわゆる「武断政治」から
「文化政治」への転換を象徴するものであるが、それは反面、同化政策の強化
を図るものでもあった。
なぜなら、これ以後、「内地人」は「国語を常用する者」、「朝鮮人」は
「国語を常用せざる者」と法的に規定され、朝鮮人の独自の民族性は完全に否
定されたからである。つまり、「国語を常用せざる者」という否定表現は、
「朝鮮人」が国民となるには本質的に何かが欠けた否定的存在でしかないとい
うことを示す。その本質的な何かとは「国語」であった。・・・
こうして、朝鮮人は「朝鮮人」ではなく、ひたすら「同化」されるのを待
つ「国語を常用せざる者」でしかなくなってしまったのである。
さらに、「皇民化政策」のなかで制定された1938年(昭和13)の第
3次朝鮮教育令では「朝鮮語」の教科は正課からはずされ、「仮設随意科目」
とされたが、この措置は実際には「朝鮮語」の授業を廃止に導くに等しかった。
いずれにせよ、日本統治者は、本来の意味での言語教育の目的で「朝鮮
語」の科目を設けたのではない。ある意味で、植民地統治下の朝鮮語教科は、
日本の支配の暴力性を隠蔽するためのアリバイ作りとして設置されていたにす
ぎない。なぜなら、いかに朝鮮語が科目として存在していたとしても、学校の
授業用語はもっぱら日本語だったからである。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
この主張は、黄文雄らの、日本の植民地言語政策を肯定あるいは弁護する
ような主張をくつがえすのに十分ではないかと思われます。
(注1)平凡社『朝鮮を知る事典』1994
(注2)藪景三『朝鮮総督府の歴史』明石書店1994
(注3)朝鮮総督府警務局『朝鮮警察の概要』1927
(注4)イ・ヨンスク『「国語」という思想』岩波書店,1996
これは メッセージ 3017 (whiterose20051 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/ffc4znrbbkoc0ah_1/3018.html