>王仁博士は百済人ではなくて、漢人
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/04/29 00:44 投稿番号: [2100 / 6952]
なにしろ、「王」という姓が中国式ですからね。
この頃、百済は複姓、つまり、二文字の姓ですから。
「木羅」「鬼室」などの姓であったことが、日・中・韓の公式史書で分かります。
>百済は近肖古王の時まで漢文を体系的にはもってなかった。
近肖古王の時に「高興」という中国人がきて
はじめて百済には「書き記すということ」が始ったという。これは
三国史記に書いてある。「王仁」が百済から派遣されてきたのも
この近肖古王の時。ということは、高興博士と王仁博士は同じ
楽浪系の中国人で百済にきたばかりの同僚だった可能性が高いだろう。
ワタシも何回も何回も言って、よく朝鮮のシトからファビョられたんですが、百済に漢字が伝わって、大体60年ぐらいで日本に伝わっているんです。
つまり、ホントにパイプ役でしかなかったんですな。
60年で、何かをモノに出来はしないんですから。
百済が、戦闘で高句麗の故国原王を戦死せしめたのが、近肖古王と、世子(後の近仇首王)の親子であり、その快勝の際に、王は閲兵式で支那皇帝のように、黄色の旗さしものを使いましたが、すでに、倭国に借りが出来ています。
さて、朝鮮のホルホルネタで、段楊爾という五経博士がいます。
イルボンに学問を教えてやったシトとなっていますが、日本書紀では、任那を百済に割譲してやった見返りでの、「代金」なんですな。
その辺は、当然朝鮮ではスルーです。
そもそも段楊爾なんて、朝鮮の史書には一切名前が出てこないのに。しかも、このシト東漢(やまとのあや)氏の祖先ですから、中国系ですわなあ。
百済人と違って、単姓だし。(笑)
これは メッセージ 2073 (imp_mania_jk さん)への返信です.
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