Re: 独り言デツ
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/04/28 21:51 投稿番号: [2073 / 6952]
王仁博士は百済人ではなくて、漢人である
続日本紀(桓武天皇)に漢の高帝の子孫と記されている。
現ソウル・平壌を含む半島の中央部はB.C.108〜A.D.313まで
400年間も漢人の植民地だったのだ。(楽浪郡・帯方郡)そして
支配階級姓氏の主流が王氏と韓氏。この植民地が高句麗に滅ぼされて
漢人たちが南下して百済・新羅に漢流文化を授けたのである。
百済は近肖古王の時まで漢文を体系的にはもってなかった。
近肖古王の時に「高興」という中国人がきて
はじめて百済には「書き記すということ」が始ったという。これは
三国史記に書いてある。「王仁」が百済から派遣されてきたのも
この近肖古王の時。ということは、高興博士と王仁博士は同じ
楽浪系の中国人で百済にきたばかりの同僚だった可能性が高いだろう。
百姓
ひゃくしょう
[日本語]
農家
ひゃくせい
[十八史略]
百の苗字・多くの人々・全国の人間・全人民
百家済海(百の家をつれ済海し(海を渡って・渤海を通過し)てきた→百済)
↓
[渡斉]−度=済
百姓渡斉(全人民を連れて、斉という土地から渡って来た)
百姓済度(全人民を救済する、度をなす[説法をする]・縁無き衆生は度し[=救い]難し)
師古、曰
唐代の歴史家の人名『唐
顔師古』
間違い:
師、古曰(先生が言う、今は無き説では)
間違い:
師古、曰(昔の先生が言うには)
これは メッセージ 2072 (imp_mania_jk さん)への返信です.
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