高句麗滅亡とそっくりなるか?
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2010/01/24 22:52 投稿番号: [9248 / 10735]
若干下がっているので、あげを兼ねて。サンケイより。
【緯度経度】ソウル・黒田勝弘
高句麗滅亡から読む北朝鮮 (1/2ページ)
2010.1.23 07:49
古代、朝鮮半島には高句麗(こうくり)、百済(くだら)、新羅(しらぎ)に分かれた3国時代があった。高句麗は朝鮮半島の北部に位置し、百済は南西部、新羅は南東部を占めていた。しかし最後は新羅が唐の支援を受けて百済、高句麗を滅ぼし、初の統一国家になった(西暦676年)。
3国のうち高句麗の領域は、中朝国境地帯から中国大陸にまで広がっていた。大国の隋や唐との戦いでもしばしば勝利するなど、東アジアの軍事強国だった。
高句麗については、朝鮮半島の北部に存在したことから、現在の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が以前から自らの国家的ルーツに見立ててきた。そこには“東アジアの強国”への民族的郷愁も当然ある。
歴史学者の間では「高句麗の政治体制は軍事色の強い中央集権体制だった」というのが定説だから、超軍事独裁体制の現在の北朝鮮とイメージが重なる。
ところで700年も続いた強国・高句麗がなぜ滅んだのか、その原因が興味深い。
唐の軍事的圧力を強く受けていた末期、王の首を勝手にすげ替えるなど、臨戦態勢で独裁的権力をふるっていた泉蓋蘇文(せんがいそぶん)が病死した(666年)。3人の息子のうち長男の男生がすぐ後を継いだが、弟の男建、男産らと権力闘争となり、後継者の男生が追放されその子も殺害された。こうした兄弟による内紛が新羅や唐のつけ入るところとなり、高句麗は2年後に滅んでしまった。
北朝鮮は今、3代目の世襲後継体制に動いている。昔、北で権力中枢にいた亡命者の黄長●元朝鮮労働党書記は、権力世襲の北朝鮮を「封建王朝」−つまり金王朝だといっている。
この“王朝”はまだ65年だが、金日成、金正日に続く3代目の「金ジョンウン」は長男ではなく異母兄弟の三男だという。父・金正日総書記が健在なうちは誰も文句をいえないから、とりあえずみんな納得しついてくるだろう。
これは メッセージ 1 (jgeilsbandfreek さん)への返信です.
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