総連は悪い奴等ニダ 3
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2009/12/12 10:10 投稿番号: [9176 / 10735]
《広がる自発的な帰国熱望》という操作、帰国希望者数の水増し報告、人道を前面に立てながら日本側の「厄介払い願望」に擦り寄る世論喚起という段階を経て、総連は58年9月、「悲惨な境遇に苦しむ在日朝鮮人が地上の楽園へと変わりつつある祖国に1日でも早く帰り、祖国の温かい懐の中で幸福な生活を営もうという希望に立ちあがっている」と声明するに至る。総連はこの頃から、「地上の楽園」という賛辞を北韓の代名詞のように使い始めた。
南の悲惨さを強調しつつ、ビルが立ち並ぶ平壌、大型工場で生き生きと働く労働者と家族、祖国で幸福に暮らす帰国者など、「発展する祖国」のスライドや記録映画は、テレビが普及していなかった時代、効果は大きかった。
60年3月の総連中央委の報告では、スライド上映は1万3000回、延べ33万人余を動員、記録映画上映会は1423回、延べ51万5000人余を動員したと誇っている。先発の「帰国」同胞が伝え始めていた否定的情報は打ち消され、北への幻想は残り続けた。
総連は第3者機関による帰国意思確認の骨抜き、日本側の早期打ち切り方針の切り崩し、帰国申請者減少後の狡猾かつ強制的な帰国動員と続く。61年初頭から、総連は学生の集団帰国、幹部家族の帰国推進を決め、5万人を目標に全国的な帰国者獲得運動を展開している。同著はこうした過程を克明にたどった。
日本を対韓国工作の基地に
北送運動は、「日朝韓にまたがる離散家族」を生み出したほかにも、総連組織を強化・拡大する一方、「帰国」船で北の指令が直接かつ綿密に届くようになり、結成初期には一定の自主性があった総連の北従属化が進んだこと、同時に、北工作員が在日に浸透し、日本が対南革命戦略の拠点となったことも指摘する。そしてこう結んだ。
「帰国事業で作られた日朝間のパイプは日朝貿易を進展させた。工作員や総連系(時には日本人)技術者・商社員を通じて、日本から最新の機械・資材・資産、それに関する情報が流れ、技術移転が進んだ。それには通常兵器のみならず、核・ミサイルなど大量破壊兵器への軍事転用可能なものも含まれていたとみられている。帰国船による膨大な『ヒト・モノ・カネ』の移動は、北の全体主義体制の強化と、日本や韓国に対する安全保障上の脅威の増大につながり、東アジアの冷戦構造にも影響を与えた」
4に続きます。
南の悲惨さを強調しつつ、ビルが立ち並ぶ平壌、大型工場で生き生きと働く労働者と家族、祖国で幸福に暮らす帰国者など、「発展する祖国」のスライドや記録映画は、テレビが普及していなかった時代、効果は大きかった。
60年3月の総連中央委の報告では、スライド上映は1万3000回、延べ33万人余を動員、記録映画上映会は1423回、延べ51万5000人余を動員したと誇っている。先発の「帰国」同胞が伝え始めていた否定的情報は打ち消され、北への幻想は残り続けた。
総連は第3者機関による帰国意思確認の骨抜き、日本側の早期打ち切り方針の切り崩し、帰国申請者減少後の狡猾かつ強制的な帰国動員と続く。61年初頭から、総連は学生の集団帰国、幹部家族の帰国推進を決め、5万人を目標に全国的な帰国者獲得運動を展開している。同著はこうした過程を克明にたどった。
日本を対韓国工作の基地に
北送運動は、「日朝韓にまたがる離散家族」を生み出したほかにも、総連組織を強化・拡大する一方、「帰国」船で北の指令が直接かつ綿密に届くようになり、結成初期には一定の自主性があった総連の北従属化が進んだこと、同時に、北工作員が在日に浸透し、日本が対南革命戦略の拠点となったことも指摘する。そしてこう結んだ。
「帰国事業で作られた日朝間のパイプは日朝貿易を進展させた。工作員や総連系(時には日本人)技術者・商社員を通じて、日本から最新の機械・資材・資産、それに関する情報が流れ、技術移転が進んだ。それには通常兵器のみならず、核・ミサイルなど大量破壊兵器への軍事転用可能なものも含まれていたとみられている。帰国船による膨大な『ヒト・モノ・カネ』の移動は、北の全体主義体制の強化と、日本や韓国に対する安全保障上の脅威の増大につながり、東アジアの冷戦構造にも影響を与えた」
4に続きます。
これは メッセージ 9175 (jgeilsbandfreak さん)への返信です.
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