総連は悪い奴等ニダ 2
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2009/12/12 09:55 投稿番号: [9175 / 10735]
いまだに強調「祖国の恩恵」
そこで北韓の在日同胞事業局のファン・ドシク局長は「1959年12月16日、242世帯795人が最初の帰国船に乗って清津港に到着した。それから84年7月27日まで、187次にわたり9万2125人が帰国した。それ以降も帰国を希望する同胞たちがいて、帰国者は計10万余人になる」と述べ、こう語っている。
「戦争が終わって間がない時期だった。当時、最も困難だったのは住居問題だった。そこで国は、帰国同胞たちに最優先的に住居を配定できるよう手を尽くした。また、米は大変貴重だった。私の幼い時の記憶でも、白飯を食べられたのは正月と8・15、そして自分の誕生日だけだった。しかし、帰国同胞たちの家庭には、国が米櫃(こめびつ)を満たしてあげた。生活道具もすべて提供した」
総連は現在まで一貫して《同胞たちの自主的で熱烈な帰国運動とそれに応える祖国の温かい心》という虚構を維持している。
「苦しい中で精いっぱいやったのだ」という今さらの弁明の意味は何か。同胞たちが清津港に降り立ったとたんに襲われた絶望感とそれを裏切らなかった悲惨な生活を、仕送りと不安にさいなまれ続けてきた在日家族の疲弊感を、自らの苦境を吐露することで割り引くことを装いながらの、脱北者と北韓に不審を持つ在日家族らに対する開き直った非難以外の何物でもない。
それにしても、住居もコメも当時から不足していたことを、北韓当局者はいつから口にするようになったのか。こうした実情を知らされた上での、自らの意思による「帰国」であれば、また貧しくとも尊厳が保たれ、将来への希望が少しでもあれば、今日の事態にはなっていない。
今後とも日本入国が確実に増える元在日同胞脱北者は、その親族や友人、あるいは支援者などとともに組織化され、まとまった力になるだろう。眞顏で偽りを押し通し、脱北元同胞を「裏切り者」とののしる総連の態度が変わるまで、彼らの告発が緩むことはない。
■□ 仕組まれた「壮大な拉致」
物語る資料や証言 「ヒト・モノ・カネ」移動が脅威生んだ
いまだに「同胞が自ら勝ち取った帰国」「宣伝は事実とかけ離れたものではなかった」(総連大阪元最高幹部)と言い張る現状があり、まして、そのような体質によってもたらされた「帰国」同胞の悲惨な生活がわずかな改善の可能性もないまま現在進行中である以上、虚構はとことん暴かれなければならない。
「実態の隠蔽非惨の主因」
菊池嘉晃著『北朝鮮帰国事業』は、「北朝鮮の戦略と連動した朝鮮総連の運動、在日一世らに潜在していた『帰国願望』と、日本側の『厄介払い願望』とが奇妙な共鳴を見せ」ていたことをたびたび指摘つつも、実質的には北による「壮大な拉致」であり、それを可能にしたのは総連を通じた「宣伝・勧誘・説得」だったと結論づける。
この論旨は一般化されているようでありながら、要因や責任を相対化する言説も少なくない。筆者は「『悲劇』を生んだ直接的な要因は、第一に北朝鮮国内の人権抑圧体制、第二に帰国意思形成に決定的な影響を与えた宣伝と情報統制(北朝鮮の実態隠蔽)」だったとして、「この二大要因に目を向けず(中略)『均等』な責任があるかのように主張する論者がいるならば、それは意図的に問題の核心から目をそむけているとしか思えない」と断じている。
日本・北韓・韓国・ソ連・米国・赤十字国際委員会(スイス)はもちろん、総連やその前身である民戦(在日朝鮮民主主義戦線)の関連資料を精査し、多くの脱北者や元総連活動家らの証言を補強材料に、深層に分け入っていて強い説得力がある。
「帰国」運動の原点を著者は、6・25韓国戦争当時、米軍の韓国支援を阻止する運動を展開し、北との実質的な連携、心理的な絆を深めた民戦が53年8月、全国の代表60人以上と技術者からなる祖国訪問団の北への派遣と、祖国復興資金1億円を募金することを決定、54年2月に帰国希望者への援助を日本政府に訴えたことに求めた。
休戦とともに民戦系の技術者や活動家の一部には、北の復興・建設に参加したいとの帰国願望が顕在化したのである。その後しばらくは他に、大村収容所で強制退去を恐れる同胞たちの一部、その他特殊事情を持つ同胞に限られていた。これが雪ダルマ式に膨らまされていく。
3に行きます。
そこで北韓の在日同胞事業局のファン・ドシク局長は「1959年12月16日、242世帯795人が最初の帰国船に乗って清津港に到着した。それから84年7月27日まで、187次にわたり9万2125人が帰国した。それ以降も帰国を希望する同胞たちがいて、帰国者は計10万余人になる」と述べ、こう語っている。
「戦争が終わって間がない時期だった。当時、最も困難だったのは住居問題だった。そこで国は、帰国同胞たちに最優先的に住居を配定できるよう手を尽くした。また、米は大変貴重だった。私の幼い時の記憶でも、白飯を食べられたのは正月と8・15、そして自分の誕生日だけだった。しかし、帰国同胞たちの家庭には、国が米櫃(こめびつ)を満たしてあげた。生活道具もすべて提供した」
総連は現在まで一貫して《同胞たちの自主的で熱烈な帰国運動とそれに応える祖国の温かい心》という虚構を維持している。
「苦しい中で精いっぱいやったのだ」という今さらの弁明の意味は何か。同胞たちが清津港に降り立ったとたんに襲われた絶望感とそれを裏切らなかった悲惨な生活を、仕送りと不安にさいなまれ続けてきた在日家族の疲弊感を、自らの苦境を吐露することで割り引くことを装いながらの、脱北者と北韓に不審を持つ在日家族らに対する開き直った非難以外の何物でもない。
それにしても、住居もコメも当時から不足していたことを、北韓当局者はいつから口にするようになったのか。こうした実情を知らされた上での、自らの意思による「帰国」であれば、また貧しくとも尊厳が保たれ、将来への希望が少しでもあれば、今日の事態にはなっていない。
今後とも日本入国が確実に増える元在日同胞脱北者は、その親族や友人、あるいは支援者などとともに組織化され、まとまった力になるだろう。眞顏で偽りを押し通し、脱北元同胞を「裏切り者」とののしる総連の態度が変わるまで、彼らの告発が緩むことはない。
■□ 仕組まれた「壮大な拉致」
物語る資料や証言 「ヒト・モノ・カネ」移動が脅威生んだ
いまだに「同胞が自ら勝ち取った帰国」「宣伝は事実とかけ離れたものではなかった」(総連大阪元最高幹部)と言い張る現状があり、まして、そのような体質によってもたらされた「帰国」同胞の悲惨な生活がわずかな改善の可能性もないまま現在進行中である以上、虚構はとことん暴かれなければならない。
「実態の隠蔽非惨の主因」
菊池嘉晃著『北朝鮮帰国事業』は、「北朝鮮の戦略と連動した朝鮮総連の運動、在日一世らに潜在していた『帰国願望』と、日本側の『厄介払い願望』とが奇妙な共鳴を見せ」ていたことをたびたび指摘つつも、実質的には北による「壮大な拉致」であり、それを可能にしたのは総連を通じた「宣伝・勧誘・説得」だったと結論づける。
この論旨は一般化されているようでありながら、要因や責任を相対化する言説も少なくない。筆者は「『悲劇』を生んだ直接的な要因は、第一に北朝鮮国内の人権抑圧体制、第二に帰国意思形成に決定的な影響を与えた宣伝と情報統制(北朝鮮の実態隠蔽)」だったとして、「この二大要因に目を向けず(中略)『均等』な責任があるかのように主張する論者がいるならば、それは意図的に問題の核心から目をそむけているとしか思えない」と断じている。
日本・北韓・韓国・ソ連・米国・赤十字国際委員会(スイス)はもちろん、総連やその前身である民戦(在日朝鮮民主主義戦線)の関連資料を精査し、多くの脱北者や元総連活動家らの証言を補強材料に、深層に分け入っていて強い説得力がある。
「帰国」運動の原点を著者は、6・25韓国戦争当時、米軍の韓国支援を阻止する運動を展開し、北との実質的な連携、心理的な絆を深めた民戦が53年8月、全国の代表60人以上と技術者からなる祖国訪問団の北への派遣と、祖国復興資金1億円を募金することを決定、54年2月に帰国希望者への援助を日本政府に訴えたことに求めた。
休戦とともに民戦系の技術者や活動家の一部には、北の復興・建設に参加したいとの帰国願望が顕在化したのである。その後しばらくは他に、大村収容所で強制退去を恐れる同胞たちの一部、その他特殊事情を持つ同胞に限られていた。これが雪ダルマ式に膨らまされていく。
3に行きます。
これは メッセージ 9174 (jgeilsbandfreak さん)への返信です.
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