芸者は妓生に当たる存在ニダ 1
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/04/13 14:33 投稿番号: [7409 / 10735]
記事入力 : 2008/04/13 12:09:10
100歳の芸者「小金」姉さんの生涯
「13歳で花柳界に入り礼儀作法を身に付け、舞いを習い、愛しはしても売春はしない…結婚なんて考えもせず、相手は何百人もいたけれど…クラブ・カラオケのせいで減ってしまった」
日本の代表的温泉地・熱海に、男女誰もが「お姉さん」と呼ぶ老女がいる。日本最高齢の現役芸者、「小金姉さん」だ。1909年生まれで、韓国式の数え年いえば、昨年白寿を迎え今年は100歳になる。日本の芸者は、韓国の「妓生(キーセン)」に当たる存在。彼女はなぜ、「100歳現役」にこだわるのだろうか。
熱海で暮らしている「小金姉さん」を訪ねた。会ったのは芸者の訓練場と公演場を兼ねている「見番」だったが、「昔の写真が家にある」と、自宅に案内してくれた。足取りはしっかりしていて、声もはきはきしている。今でも月に4度、「見番」で開かれる「けいこ」に出向く。話をする間、老女は「のんき」という単語をしばしば口にした。「万事泰平な性格」という意味だ。
老女は机にあった封筒からモノクロの写真を1枚取り出した。少女時代の写真だった。現代的な目鼻だちをしている。
「小学校のときのわたしの写真。山梨県の甲府にある、若松という所。花町があった場所でね。もう80年も前だから、今でも花町が残ってるか、分からないけど。姉が小さかったころから、甲府にあったの。姉は祖父が借金をつくったから芸者になったの」
―お姉さんと一緒に暮らしていたんですか。
「姉が5歳のとき、父が亡くなってしまって。その後、母が再婚してわたしを生んで、姉とは19も年が離れてるの。父は違うけど、わたしを実の妹のように育ててくれた。姉は親孝行だから。母が“お前の面倒を見られない”と言って、(芸者にしようと)わたしを姉の元に送ったの」
―では、故郷は甲府ですか。
「いいえ。東京の愛宕山。丘があって、放送局もあった所。天下の愛宕山を知らない?」(愛宕山は、日本の公共放送NHKの前身である東京放送局〈JOAK〉が1925年に日本最初のラジオ放送を行った場所)
―甲府で芸者を始めたのですか。
「そうよ。(芸者をするには)小さすぎたんだけど。学校が好きで、勉強を続けたかったけど、どうすることもできなかった。両親がさせたことだから」
―お姉さんに付いて(芸者の)修行をしたんですね。
「いいえ。昔は、普通の家でも舞いを習ってたから」
―半玉(芸妓になったものの、まだ一人前ではないこと)を始めたのは何歳のときですか。
「13、14…それくらいだったはず」
老女はモノクロの写真を1枚取り出した。
「(最初の写真から)4‐5年たったころ。18のときの写真。まだ半玉で、場所は東京の赤坂」
―料亭ですか。
「いいえ。置き屋。ここにいて料亭に呼ばれていくの」。「置き屋」を日韓辞典で調べると、「ポジュチプ(女郎屋)」と出た。けれど、韓国式の「ポジュチプ」ではない。「熱海芸妓置屋連合組合」というきちんとした組織もある。これを、「熱海妓生女郎屋連合組合」と翻訳したら、熱海の人々はひどく怒るだろう。組合側は、置き屋を「芸者が所属するエージェントだ」と説明した。
2に続きます。
100歳の芸者「小金」姉さんの生涯
「13歳で花柳界に入り礼儀作法を身に付け、舞いを習い、愛しはしても売春はしない…結婚なんて考えもせず、相手は何百人もいたけれど…クラブ・カラオケのせいで減ってしまった」
日本の代表的温泉地・熱海に、男女誰もが「お姉さん」と呼ぶ老女がいる。日本最高齢の現役芸者、「小金姉さん」だ。1909年生まれで、韓国式の数え年いえば、昨年白寿を迎え今年は100歳になる。日本の芸者は、韓国の「妓生(キーセン)」に当たる存在。彼女はなぜ、「100歳現役」にこだわるのだろうか。
熱海で暮らしている「小金姉さん」を訪ねた。会ったのは芸者の訓練場と公演場を兼ねている「見番」だったが、「昔の写真が家にある」と、自宅に案内してくれた。足取りはしっかりしていて、声もはきはきしている。今でも月に4度、「見番」で開かれる「けいこ」に出向く。話をする間、老女は「のんき」という単語をしばしば口にした。「万事泰平な性格」という意味だ。
老女は机にあった封筒からモノクロの写真を1枚取り出した。少女時代の写真だった。現代的な目鼻だちをしている。
「小学校のときのわたしの写真。山梨県の甲府にある、若松という所。花町があった場所でね。もう80年も前だから、今でも花町が残ってるか、分からないけど。姉が小さかったころから、甲府にあったの。姉は祖父が借金をつくったから芸者になったの」
―お姉さんと一緒に暮らしていたんですか。
「姉が5歳のとき、父が亡くなってしまって。その後、母が再婚してわたしを生んで、姉とは19も年が離れてるの。父は違うけど、わたしを実の妹のように育ててくれた。姉は親孝行だから。母が“お前の面倒を見られない”と言って、(芸者にしようと)わたしを姉の元に送ったの」
―では、故郷は甲府ですか。
「いいえ。東京の愛宕山。丘があって、放送局もあった所。天下の愛宕山を知らない?」(愛宕山は、日本の公共放送NHKの前身である東京放送局〈JOAK〉が1925年に日本最初のラジオ放送を行った場所)
―甲府で芸者を始めたのですか。
「そうよ。(芸者をするには)小さすぎたんだけど。学校が好きで、勉強を続けたかったけど、どうすることもできなかった。両親がさせたことだから」
―お姉さんに付いて(芸者の)修行をしたんですね。
「いいえ。昔は、普通の家でも舞いを習ってたから」
―半玉(芸妓になったものの、まだ一人前ではないこと)を始めたのは何歳のときですか。
「13、14…それくらいだったはず」
老女はモノクロの写真を1枚取り出した。
「(最初の写真から)4‐5年たったころ。18のときの写真。まだ半玉で、場所は東京の赤坂」
―料亭ですか。
「いいえ。置き屋。ここにいて料亭に呼ばれていくの」。「置き屋」を日韓辞典で調べると、「ポジュチプ(女郎屋)」と出た。けれど、韓国式の「ポジュチプ」ではない。「熱海芸妓置屋連合組合」というきちんとした組織もある。これを、「熱海妓生女郎屋連合組合」と翻訳したら、熱海の人々はひどく怒るだろう。組合側は、置き屋を「芸者が所属するエージェントだ」と説明した。
2に続きます。
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