神戸製鋼は補償汁!2
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/03/22 09:24 投稿番号: [7197 / 10735]
2、日帝の強制連行と神戸製鋼で行われた強制労働犯罪
日帝による朝鮮人拉致・強制連行犯罪は、中日戦争に続いた太平洋戦争を契機にして狂乱的に行われた。
狂気じみた戦争は、日本の莫大な人的・物的資源の消耗を招いて国内の兵力と労働力を枯渇状態に陥れ、当時の資料によると、日帝は1944年だけでも206万8284人におよぶ朝鮮人を「徴用」「徴兵」で連行しようと画策した(「戦争責任研究」第51号50頁)。
同誌の51号には、「朝鮮で徴用動員対象になった17歳から40歳までの男子人口は390万5230人であるから実質的には2人に1人強という計算になる」とし、1944年だけでも17歳から40歳までの労働人口の約50%に達する人々を動員しようとしたと記されている。
日帝は侵略戦争で不足する労働力を朝鮮人に対する拉致、強制連行の方法で解決するために手段と方法を選ばなかった。
日帝は「募集」「官斡旋」(政府斡旋)の方法で強制連行を大々的に行い、朝鮮人に対する「徴用」「徴兵」を完全に義務化した。
日帝の強制連行は懐柔と欺まん、逮捕と拉致など肉体的・精神的強制を併せた手法で行われ、神戸製鋼本社工場に連行された青壮年の場合も決して例外ではなかった。
これについて、被害者の金星浩さんは「1943年11月のある日、村長の指示で面役場に行ったところ、前田繁三郎という日本人上級将校と2人の軍人がいた。
彼らは私に、日本の神戸製鋼に連れて行く人員を募集しに来たと言い、そこに行けば『徴兵』に行かずにすむから日本に行けと何度も説得した。私は拒んで逃げたかったが、捕まったりしたら大変なことになる。いやいやながらも返事をさせられた。その時の説得とは形だけで、実際は強制であった。その年の11月末、日帝は厚昌郡(当時)だけでも100余人もの青壮年を警察署に連行した」と語った。
日帝は、朝鮮から強制連行した青壮年に朝鮮国内である程度の見習いや訓練を行って日本に連行した。
被害者の洪燦禎さんは40余人の青壮年とともに松林(黄海北道)にあった兼二浦製鉄所(当時)に連行されて約1週間、作業現場で無報酬の強制労働を強要されたと述べ、「その後、日本人は私たちを釜山港に連行して関釜連絡船に乗船させた。連絡船にはすでに1000人ほどの朝鮮人が乗っていた。下関港に到着して間もなく私たちを列車に乗せて神戸製鋼に連行した」と証言した。
金星浩さんは100余人の青壮年とともに江原道の陸軍「練兵所」に送り込まれて約3カ月間、軍事訓練を強要されたとのべ、「日帝は1944年3月の初め、『練兵所』に来ていた1000余人におよぶ青壮年を関釜連絡船で下関港まで連行した。そのうちの500人は九州方面に、残りの500人は関西方面に連れて行き、私を含む厚昌郡から来た人々を神戸製鋼に引き渡した」と語った。
あれ?
予定したより長くなる・・・
日帝による朝鮮人拉致・強制連行犯罪は、中日戦争に続いた太平洋戦争を契機にして狂乱的に行われた。
狂気じみた戦争は、日本の莫大な人的・物的資源の消耗を招いて国内の兵力と労働力を枯渇状態に陥れ、当時の資料によると、日帝は1944年だけでも206万8284人におよぶ朝鮮人を「徴用」「徴兵」で連行しようと画策した(「戦争責任研究」第51号50頁)。
同誌の51号には、「朝鮮で徴用動員対象になった17歳から40歳までの男子人口は390万5230人であるから実質的には2人に1人強という計算になる」とし、1944年だけでも17歳から40歳までの労働人口の約50%に達する人々を動員しようとしたと記されている。
日帝は侵略戦争で不足する労働力を朝鮮人に対する拉致、強制連行の方法で解決するために手段と方法を選ばなかった。
日帝は「募集」「官斡旋」(政府斡旋)の方法で強制連行を大々的に行い、朝鮮人に対する「徴用」「徴兵」を完全に義務化した。
日帝の強制連行は懐柔と欺まん、逮捕と拉致など肉体的・精神的強制を併せた手法で行われ、神戸製鋼本社工場に連行された青壮年の場合も決して例外ではなかった。
これについて、被害者の金星浩さんは「1943年11月のある日、村長の指示で面役場に行ったところ、前田繁三郎という日本人上級将校と2人の軍人がいた。
彼らは私に、日本の神戸製鋼に連れて行く人員を募集しに来たと言い、そこに行けば『徴兵』に行かずにすむから日本に行けと何度も説得した。私は拒んで逃げたかったが、捕まったりしたら大変なことになる。いやいやながらも返事をさせられた。その時の説得とは形だけで、実際は強制であった。その年の11月末、日帝は厚昌郡(当時)だけでも100余人もの青壮年を警察署に連行した」と語った。
日帝は、朝鮮から強制連行した青壮年に朝鮮国内である程度の見習いや訓練を行って日本に連行した。
被害者の洪燦禎さんは40余人の青壮年とともに松林(黄海北道)にあった兼二浦製鉄所(当時)に連行されて約1週間、作業現場で無報酬の強制労働を強要されたと述べ、「その後、日本人は私たちを釜山港に連行して関釜連絡船に乗船させた。連絡船にはすでに1000人ほどの朝鮮人が乗っていた。下関港に到着して間もなく私たちを列車に乗せて神戸製鋼に連行した」と証言した。
金星浩さんは100余人の青壮年とともに江原道の陸軍「練兵所」に送り込まれて約3カ月間、軍事訓練を強要されたとのべ、「日帝は1944年3月の初め、『練兵所』に来ていた1000余人におよぶ青壮年を関釜連絡船で下関港まで連行した。そのうちの500人は九州方面に、残りの500人は関西方面に連れて行き、私を含む厚昌郡から来た人々を神戸製鋼に引き渡した」と語った。
あれ?
予定したより長くなる・・・
これは メッセージ 7196 (jgeilsbandfreak さん)への返信です.
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