朝P、日韓条約を批判 2
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/03/06 17:54 投稿番号: [6993 / 10735]
■「南だけでいいのか」日本の学生らも反発
65年6月22日。14年間にわたる交渉に終止符が打たれた。国交を正常化する日韓基本条約と四つの協定が調印された。
日韓関係をひとつ高い段階に上げたのが、98年10月にあった金大中(キム・デジュン)大統領と小渕恵三首相との首脳会談だった。首相は過去を誠実にわび、大統領は「戦後日本」の歩みを率直に評価し、歴史を知る大切さを確認し合った。
翌月、鹿児島で日韓閣僚懇談会が開かれ、金鍾泌(キム・ジョンピル)首相(82)が来日した。金首相は、かつて中央情報部(KCIA)部長として池田勇人内閣の大平正芳外相らと交渉、無償3億ドル、有償2億ドルで請求権問題に決着をつけた「金・大平メモ」で知られる国交正常化の立役者だ。
金首相は帰路、本人たっての希望から、福岡市の九州大学で講演した。韓国の国づくりに、この大学の出身者が多く活躍したことを恩義に感じての異例の講演だった。日本語による話は45分に及んだ。
「私は(国交のない)非正常的な状態が持続することは、両国関係のみならずアジア地域全体の安定と平和そして繁栄にも決して望ましくないと考えた。国内の強い批判にもかかわらず国交正常化のために自らの政治生命を賭けました」
講演の実現と運営に法学部長としてかかわった石川捷治(しょうじ)教授(63)に会いに、九大を訪ねてみた。
「一国の総理の希望とはいえ、韓国政治に彼が果たした役割を考えると、個人的には葛藤(かっとう)がなくはなかったんです」という。
石川さんは佐賀大の学生のころ、日韓国交正常化に反対する運動を続けた。
「またぞろ日本資本がかつての植民地に触手を伸ばす。帝国主義の復活ではないのか、と。日本の支配層が植民地支配の責任を全く認識せず、米国との従属的同盟のなかで朴正熙の軍事独裁政権にテコ入れし、自らの延命も図る。だいいち、日本が南とだけ手を結んでいいのか。まあ、そう考えたわけですよ」
それは、多くの学生の考え方だったという。理想に燃えて朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に渡った知り合いの在日朝鮮人の学生もいる。「独裁で民衆を苦しめる南よりは、北に様々な問題はあるにせよ自主性と正統性を当時、感じもした」と話す。
在日の作家金石範(キム・ソッポム)さん(82)は、「朴政権は、親日派、民族反逆者の政権だ。後ろでアメリカさんが、早く日本とやれとけしかけてる。冗談じゃない」と連日、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の反対集会に出かけたのを覚えている。
■冷戦下、米から圧力 経済最優先の朴政権
日韓条約案件は65年11月、衆議院本会議で議長発議により抜き打ち的に可決、翌月参議院でも社会、公明、共産などの野党議員が退場するなか、可決された。
「国交正常化には三つの顔がある」
こう話すのは、韓国紙、東亜日報の東京特派員として国交正常化を取材した権五キ(クォン・オギ)さん(75)だ。
――三つの顔ですか?
「そう。隣国どうしが、植民地時代の関係を清算し新しい関係を結ぶこと。そして冷戦をめぐるアメリカのもくろみ。経済発展のためにカネが欲しかった朴大統領の思惑だ。どれか一つを引っ張り出して、日韓関係はこうだとは、割り切れないんだ」
日韓交渉研究の第一人者、李元徳(イ・ウォンドク)・国民大教授(45)にも聞いてみた。
交渉を妥結に導いた原動力を二つ挙げる。まず安保の論理。「アメリカが冷戦体制のもとで共産圏封じ込めを効果的に進めるため、北朝鮮と向き合う韓国と日本を政治、経済的に結びつけようとした」。61年には北朝鮮が、中国、ソ連と相互援助条約を結んでいた。「ベトナム戦争への介入の本格化と中国の核実験の成功(64年10月)で、米国の圧力は最高潮に達しました」
もう一つは経済の論理。「米国は韓国への援助を次第に減らし、日本に肩代わりさせようとした。経済開発を最優先する朴政権は、カネも技術もない。交渉を妥結し、日本からカネを入れるしかなかった」
こうして交渉は急進展した。「本来のテーマであった植民地支配の責任は置き去りにされた。それが、後に繰り返される歴史摩擦の原点になった」と語るのだった。
「ただ当時、韓国側が歴史をめぐる正義をあくまでも主張したら、今の繁栄は実現したでしょうか。歴史を複眼で見るべきでしょう」
3に続きます。
65年6月22日。14年間にわたる交渉に終止符が打たれた。国交を正常化する日韓基本条約と四つの協定が調印された。
日韓関係をひとつ高い段階に上げたのが、98年10月にあった金大中(キム・デジュン)大統領と小渕恵三首相との首脳会談だった。首相は過去を誠実にわび、大統領は「戦後日本」の歩みを率直に評価し、歴史を知る大切さを確認し合った。
翌月、鹿児島で日韓閣僚懇談会が開かれ、金鍾泌(キム・ジョンピル)首相(82)が来日した。金首相は、かつて中央情報部(KCIA)部長として池田勇人内閣の大平正芳外相らと交渉、無償3億ドル、有償2億ドルで請求権問題に決着をつけた「金・大平メモ」で知られる国交正常化の立役者だ。
金首相は帰路、本人たっての希望から、福岡市の九州大学で講演した。韓国の国づくりに、この大学の出身者が多く活躍したことを恩義に感じての異例の講演だった。日本語による話は45分に及んだ。
「私は(国交のない)非正常的な状態が持続することは、両国関係のみならずアジア地域全体の安定と平和そして繁栄にも決して望ましくないと考えた。国内の強い批判にもかかわらず国交正常化のために自らの政治生命を賭けました」
講演の実現と運営に法学部長としてかかわった石川捷治(しょうじ)教授(63)に会いに、九大を訪ねてみた。
「一国の総理の希望とはいえ、韓国政治に彼が果たした役割を考えると、個人的には葛藤(かっとう)がなくはなかったんです」という。
石川さんは佐賀大の学生のころ、日韓国交正常化に反対する運動を続けた。
「またぞろ日本資本がかつての植民地に触手を伸ばす。帝国主義の復活ではないのか、と。日本の支配層が植民地支配の責任を全く認識せず、米国との従属的同盟のなかで朴正熙の軍事独裁政権にテコ入れし、自らの延命も図る。だいいち、日本が南とだけ手を結んでいいのか。まあ、そう考えたわけですよ」
それは、多くの学生の考え方だったという。理想に燃えて朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に渡った知り合いの在日朝鮮人の学生もいる。「独裁で民衆を苦しめる南よりは、北に様々な問題はあるにせよ自主性と正統性を当時、感じもした」と話す。
在日の作家金石範(キム・ソッポム)さん(82)は、「朴政権は、親日派、民族反逆者の政権だ。後ろでアメリカさんが、早く日本とやれとけしかけてる。冗談じゃない」と連日、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の反対集会に出かけたのを覚えている。
■冷戦下、米から圧力 経済最優先の朴政権
日韓条約案件は65年11月、衆議院本会議で議長発議により抜き打ち的に可決、翌月参議院でも社会、公明、共産などの野党議員が退場するなか、可決された。
「国交正常化には三つの顔がある」
こう話すのは、韓国紙、東亜日報の東京特派員として国交正常化を取材した権五キ(クォン・オギ)さん(75)だ。
――三つの顔ですか?
「そう。隣国どうしが、植民地時代の関係を清算し新しい関係を結ぶこと。そして冷戦をめぐるアメリカのもくろみ。経済発展のためにカネが欲しかった朴大統領の思惑だ。どれか一つを引っ張り出して、日韓関係はこうだとは、割り切れないんだ」
日韓交渉研究の第一人者、李元徳(イ・ウォンドク)・国民大教授(45)にも聞いてみた。
交渉を妥結に導いた原動力を二つ挙げる。まず安保の論理。「アメリカが冷戦体制のもとで共産圏封じ込めを効果的に進めるため、北朝鮮と向き合う韓国と日本を政治、経済的に結びつけようとした」。61年には北朝鮮が、中国、ソ連と相互援助条約を結んでいた。「ベトナム戦争への介入の本格化と中国の核実験の成功(64年10月)で、米国の圧力は最高潮に達しました」
もう一つは経済の論理。「米国は韓国への援助を次第に減らし、日本に肩代わりさせようとした。経済開発を最優先する朴政権は、カネも技術もない。交渉を妥結し、日本からカネを入れるしかなかった」
こうして交渉は急進展した。「本来のテーマであった植民地支配の責任は置き去りにされた。それが、後に繰り返される歴史摩擦の原点になった」と語るのだった。
「ただ当時、韓国側が歴史をめぐる正義をあくまでも主張したら、今の繁栄は実現したでしょうか。歴史を複眼で見るべきでしょう」
3に続きます。
これは メッセージ 6992 (jgeilsbandfreak さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/dabaafl1b2_1/6993.html