朝P、日韓条約を批判 1
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/03/06 17:53 投稿番号: [6992 / 10735]
「繁栄」の代償
今なお歴史摩擦
玄勝一(ヒョン・スンイル)・国民大学元総長
韓国で新しい大統領、李明博(イ・ミョンバク)氏(66)が25日、就任する。現代建設社長をへてソウル市長に転身、「初のCEO(最高経営責任者)出身大統領」として経済再生への国民の期待を集めている。
「成熟した韓日関係のためには、謝罪しろ反省しろ、という話はしたくない」「歴史問題は専門家が討論すればよい」
これは、日韓でしばしば外交問題になる植民地支配などをめぐる歴史認識について、李氏が当選後に語った言葉だ。日本に厳しい言葉を投げかけた盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領とは違い、日本では、韓国との関係改善に期待が高まっている。
その李氏は、40年余り前、名門私立大、高麗大の学生で反日運動の闘士だった。日韓国交正常化に反対しデモに参加、逮捕され、獄中で暮らしたという一面を持つ。
■たった数億ドルで清算 韓国の学生ら「屈辱」
64年6月3日。
学生や市民数万人は、ソウル市内で「朴政権は民族のために退け」「腐敗し無能な朴政権打倒」と叫び、デモを繰り広げた。前年の大統領選で軍服を脱いだばかりの朴正熙(パク・チョンヒ)大統領は、運動が「国交正常化反対」から「反政府」に向かうのをおそれ、非常戒厳令を敷き、軍事力でデモを鎮圧した。
なぜ国交正常化に反対だったのか。
当時、ソウル大のリーダーだった玄勝一(ヒョン・スンイル)・国民大学元総長(66)に会った。
「たった数億ドルで過去の植民地支配を清算するなんて認められなかった。屈辱外交の極みだ」。第2次世界大戦が終わり、韓国が日本の支配から解放されてからまだ20年足らず。「つらかった植民地時代の記憶が、だれの頭にも残っていた。こんな内容では受け入れられない。それが民族感情というものでした」
クーデターで政権を獲得した軍出身の朴大統領に対する反感も強かった。60年4月、独裁体制を強めていた初代大統領、李承晩(イ・スンマン)は、学生や市民のデモによって退陣を余儀なくされた。
「これで民主主義が実現すると思っていたら1年ほどでクーデターが起きた。朴大統領は、日本や米国という外国勢力に頼って権力基盤を固めようとしていた。自らの利益のために国を売る。そう見えました」
崇実大で反対運動のリーダーだった柳永烈(ユ・ヨンニョル)さん(67)は今、政府の国史編纂(へんさん)委員会委員長を務める。「国交が正常化すれば、日本企業によって韓国経済は収奪される。朝鮮戦争で復興した日本の大きな経済力につぶされると思った」
日韓国交正常化に反対した玄さんや柳さんだが、もはや日韓条約の破棄を唱えることはない。当時の仲間で、そんなことを主張するのは少数派だという。
朴大統領への見方も変わった。内乱罪で逮捕された玄さんは、その後、アメリカに渡り、社会学の博士号をとり大学教授になった。保守政党ハンナラ党の国会議員も務めた。「今は朴大統領に恨みはない。独裁だったが、長所はあった。経済成長を見て評価が変わりました」
李新大統領は、大学を卒業し現代建設に入社、ビジネスの世界で腕を上げ、35歳で社長になった。玄さんは「あれから時間がたちました。李大統領は、日本との関係も過去に執着するのではなく、未来に向けて進もうと考えているのでしょう」と語る。
一方、柳さんは、学生運動の経験から、韓国における民主主義の萌芽(ほうが)を探ろうと歴史研究に進んだ。日本語を学び、日本にも研究のため1年半滞在した。「日本で生活し、日本人の親切で誠実な態度に触れ、日本に対する見方も変わった。国交正常化の内容に問題はあったが、国交を結んだのは結果的によかった」という。「両国は宿命的な隣国。交流を活発にして互いによく知ること、そして国交正常化で足りなかったことをどう補っていくかを考えなければ」
当時、学生たちは釈放されるとすぐ、大学の枠を超えて「63同志会」をつくった。「63」は大規模デモのあった6月3日を意味する。今も結びつきは強い。ソウル市内の事務所を訪ねると、警察と衝突する学生たちの大きな写真があった。「昨年末の大統領選挙では、同志の李明博氏を熱心に応援しました」。事務所の関係者が言った。
2に続きます。
玄勝一(ヒョン・スンイル)・国民大学元総長
韓国で新しい大統領、李明博(イ・ミョンバク)氏(66)が25日、就任する。現代建設社長をへてソウル市長に転身、「初のCEO(最高経営責任者)出身大統領」として経済再生への国民の期待を集めている。
「成熟した韓日関係のためには、謝罪しろ反省しろ、という話はしたくない」「歴史問題は専門家が討論すればよい」
これは、日韓でしばしば外交問題になる植民地支配などをめぐる歴史認識について、李氏が当選後に語った言葉だ。日本に厳しい言葉を投げかけた盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領とは違い、日本では、韓国との関係改善に期待が高まっている。
その李氏は、40年余り前、名門私立大、高麗大の学生で反日運動の闘士だった。日韓国交正常化に反対しデモに参加、逮捕され、獄中で暮らしたという一面を持つ。
■たった数億ドルで清算 韓国の学生ら「屈辱」
64年6月3日。
学生や市民数万人は、ソウル市内で「朴政権は民族のために退け」「腐敗し無能な朴政権打倒」と叫び、デモを繰り広げた。前年の大統領選で軍服を脱いだばかりの朴正熙(パク・チョンヒ)大統領は、運動が「国交正常化反対」から「反政府」に向かうのをおそれ、非常戒厳令を敷き、軍事力でデモを鎮圧した。
なぜ国交正常化に反対だったのか。
当時、ソウル大のリーダーだった玄勝一(ヒョン・スンイル)・国民大学元総長(66)に会った。
「たった数億ドルで過去の植民地支配を清算するなんて認められなかった。屈辱外交の極みだ」。第2次世界大戦が終わり、韓国が日本の支配から解放されてからまだ20年足らず。「つらかった植民地時代の記憶が、だれの頭にも残っていた。こんな内容では受け入れられない。それが民族感情というものでした」
クーデターで政権を獲得した軍出身の朴大統領に対する反感も強かった。60年4月、独裁体制を強めていた初代大統領、李承晩(イ・スンマン)は、学生や市民のデモによって退陣を余儀なくされた。
「これで民主主義が実現すると思っていたら1年ほどでクーデターが起きた。朴大統領は、日本や米国という外国勢力に頼って権力基盤を固めようとしていた。自らの利益のために国を売る。そう見えました」
崇実大で反対運動のリーダーだった柳永烈(ユ・ヨンニョル)さん(67)は今、政府の国史編纂(へんさん)委員会委員長を務める。「国交が正常化すれば、日本企業によって韓国経済は収奪される。朝鮮戦争で復興した日本の大きな経済力につぶされると思った」
日韓国交正常化に反対した玄さんや柳さんだが、もはや日韓条約の破棄を唱えることはない。当時の仲間で、そんなことを主張するのは少数派だという。
朴大統領への見方も変わった。内乱罪で逮捕された玄さんは、その後、アメリカに渡り、社会学の博士号をとり大学教授になった。保守政党ハンナラ党の国会議員も務めた。「今は朴大統領に恨みはない。独裁だったが、長所はあった。経済成長を見て評価が変わりました」
李新大統領は、大学を卒業し現代建設に入社、ビジネスの世界で腕を上げ、35歳で社長になった。玄さんは「あれから時間がたちました。李大統領は、日本との関係も過去に執着するのではなく、未来に向けて進もうと考えているのでしょう」と語る。
一方、柳さんは、学生運動の経験から、韓国における民主主義の萌芽(ほうが)を探ろうと歴史研究に進んだ。日本語を学び、日本にも研究のため1年半滞在した。「日本で生活し、日本人の親切で誠実な態度に触れ、日本に対する見方も変わった。国交正常化の内容に問題はあったが、国交を結んだのは結果的によかった」という。「両国は宿命的な隣国。交流を活発にして互いによく知ること、そして国交正常化で足りなかったことをどう補っていくかを考えなければ」
当時、学生たちは釈放されるとすぐ、大学の枠を超えて「63同志会」をつくった。「63」は大規模デモのあった6月3日を意味する。今も結びつきは強い。ソウル市内の事務所を訪ねると、警察と衝突する学生たちの大きな写真があった。「昨年末の大統領選挙では、同志の李明博氏を熱心に応援しました」。事務所の関係者が言った。
2に続きます。
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