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遺骨は叫ぶニダ 2

投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/02/27 15:08 投稿番号: [6858 / 10735]
  筆者は、十数年も前から何度も吉乃鉱山へ調査に行っているが、朝鮮人と一緒に働いたという何人かに会っている。だが、朝鮮人のことを聞くと、「そのことを言うと、どっかへ連れて行かれるのではないか……」と、口を閉じる人が多い。その中で高橋健一は、国民学校5年の時の事を、「あの時に連れてこられたのか、それともどこかへ移動する時なのかわからないが、十数人の朝鮮人が腰縄で数珠つなぎにされ、自転車に乗った日本人の棒頭(現場監督)に追い立てられていた」と話してくれた。

  吉乃鉱山に連行された朝鮮人は、明和寮という飯場に入った。仕事は、坑内での採鉱のほか、選鉱や鉱滓ダム工事などで働いた。「ダム工事現場では、相当数の朝鮮人が働いていたが酷使されていた。とくに、土砂崩れで死亡した人も少なくない。発破による山を崩す作業で生き埋めになった。ダムの広さは、1ヘクタールくらいあり、野球場ができるほどの広い場所だった。逃亡防止の棚がめぐらされ、〝責められて〟の仕事だった」と、41〜45年まで朝鮮人と一緒に坑内で働いた、高橋長一郎の話を西成辰雄が記録している。

  また、「五十嵐洋一郎さんは労働に耐えられなくて、ダムに飛び込んで死んだ朝鮮人が2人いたと、ちゃんと見ているそうです。労働の状態は、堤防の上へトロッコで土を運んで埋めていたそうです。しかも、真っ裸で働いていたそうですから、とても見られたものではなかったそうです。一台のトロッコを3人から4人で押していたそうです」(横山秀一)と、苛酷な仕事の様子が語られている。

  このように辛い仕事に耐えられず、鉱山から逃亡する朝鮮人も多かった。高橋健一の家は、吉乃鉱山から近かったので、飯場から逃げた朝鮮人が何度も駆け込んできた。「そのたびに父は、握り飯を持たせて、見張りのいない隣の湯沢駅に送って行った」という。

  上吉野集落のほかにも犠牲者を処理した場所があったらしく、「カドミ汚染で吉乃鉱山へ取材に行ったことがあります。何か凄いところでしたね。たまたまテーラーを運転している人に話を聞いたんですが、その人が言うには、鉱滓ダムを造る時にそこを掘ったら、相当の人骨が出てきたっていうんです。それが、戦時中に強制連行して働かせた朝鮮人の死体じゃないかっていうんですがね」(清水弟「花岡事件ノート」)。その場所は、埋め戻され、跡地に草が茂っている。

  57年に吉乃鉱山は、休山となったが、6年後に地元の人が上吉野集落の朝鮮人墓地に「無縁供養塔」を建てた。99年に秋田県朝鮮人強制連行真相調査団は、地元の人たちと、旧吉乃鉱山朝鮮人労働者慰霊式を行った。その時に、墓地の草を刈り払ったところ、土饅頭は70近く数えられた。(作家、野添憲治)

[朝鮮新報 2008.2.25]


>ダムに飛び込んで死んだ朝鮮人が2人いたと、ちゃんと見ているそうです。

>ちゃんと見ているそうです。
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