朝鮮民族

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遺骨は叫ぶニダ 1

投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/02/27 15:06 投稿番号: [6856 / 10735]
〈遺骨は叫ぶ〉   発破で生き埋め、ダムに飛び込む人も

鉱さいダム工事中、相当な人骨を発見

  墓石が並ぶ上吉野集落の隣は、草が茂る平地に見えた。しかし、歩くと高低があり、高く土盛りした上に平たい石が置かれている。朝鮮人の墓だった。

  案内してくれた佐々木一郎の家は、共同墓地の管理人を代々やってきた。

  「いまは私がやっているが、戦時中は、祖父がやっていた。この墓地に吉乃鉱山で死んだ朝鮮人を埋めていた。私も子どもの時に何度か見ているが、朝鮮人の時は、二人が棺桶を担ぎ、鉱山の職員がついてきた。粗末な棺桶は、中が丸見えで、裸同然の人が素足のまま入っていた。役場の埋葬許可書も持ってこなかったな。埋めると、川から拾ってきた石を上に乗せるだけで、彼岸とかお盆に何もしなかった。盛り土は70近くある」

  70人近い朝鮮人の死者を出した吉乃鉱山(秋田県横手市増田町)は、1720年頃に発見され、1915年に設立した大日本鉱業会社の傘下に入り、巽鉱場、水力発電所及び鉄索を設けて本格的に開発され、その鉱石は県北の発盛精錬所に送られた。また、露天掘りも行い、鉱山額は増加した。「吉野地区には、11の組飯場が出現し、周辺農村からの労務者を含め、3000人近くを集めたという。その中には、200名ほどの朝鮮人も含まれていた」(斎藤実則「吉乃鉱山」誌)とあり、大正時代に多くの朝鮮人が来ていた。この朝鮮人は、どこから来たのか、どこに住んでどんな仕事をしたのかは資料もないし、知っている人もいない。

  吉乃鉱山は、31年に住友資本の参加を得て、隣の増田鉱山を合併した。太平洋戦争が始まると軍需省から増産を要請され、精銅含銅を年間1600トン産出した。だが、労働力が不足し、周辺の農山村から勤労報国隊などを集めたが、それでも足りず、朝鮮人連行者を使った。この時に大正時代に来た朝鮮人は残っていたのかなどはわかっていない。

  46年に旧厚生省が調査した「朝鮮人労務者に関する調査」(秋田県)によると、吉乃鉱山に連行された朝鮮人は全員が徴用で、42年=74人、44年=48人、45年=44人の計166人となっている。しかも「個人ノ調査ハ書類消却ニ附不可」と書き込まれ、他の事業所のように個人の名簿は添付されていない。


このトンデモ文章は2に続きます。
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