朝鮮民族

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

大韓帝国の歴史的性格1

投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/02/08 16:22 投稿番号: [6580 / 10735]
大韓帝国の歴史的性格

無能と無力強調   植民地支配を美化

朝鮮近代政治史・外交史研究の不振

  19世紀末から20世紀初頭にかけての朝鮮史の記述は、おもに日清・日露の角逐をはじめとする帝国主義列強の動きと、義兵闘争・愛国啓蒙運動など植民地化の危機を打開しようとする民族運動に二分されている。いうならば、国際政治史的観点と民族運動史的観点である。

  これらの観点からの研究では、当時の朝鮮王朝の支配層は清・日・露・米など強大国の取引対象としてのみ登場し、支配層全体が親清派・親日派・親露派・親米派といった外勢依存集団として一面的に規定されるようになった。このような傾向は大韓帝国期の支配勢力の多様な動向を視野に入れた政治史、外交史の研究に不振をもたらすことになった。こうした中で、高宗のイメージは、押し寄せてくる外勢に正しく対応できず、結局、国権を日本に奪われてしまった無能な君主として定着してしまった。

  しかし、高宗に対するこのイメージは、もとより明治中期に日本の歴史家、言論人らによってつくられたものである。日本は高宗と大韓帝国政府の無能と無力をことさらに強調し、亡国の原因が全的に朝鮮内部の欠陥にあると描出することによって自分たちの植民地支配を正当化しようとしたのである。

「光武改革」と王権

  1896年の「俄館播遷」以後、自主独立と近代化への要求が急速に高まるなか、「三国干渉」によって生じた日露間の勢力争いの間隙を縫って、朝鮮王朝は1897年8月に年号を新しく「光武」と制定し、10月には国王を皇帝に、国号を「大韓帝国」に改称した。これはそれまでの中国との宗属関係を破棄し、近代的な国際法体系のもとへ、独立主権国家として参入することを内外に明らかにしようとするものであった。

  高宗は「旧本新参」(古い制度を基礎に新しいものを加味する)の立場から、皇帝権力の確立を中核とした近代的な国家体制の構築をめざして諸改革を実行する。内政では、宮内府の強化を通じて、①量田・地契発給事業②軍制の再編と軍備拡張③通信網整備④鉄道建設⑤商工業振興⑥中央銀行設立と幣制改革⑦各種学校設立と留学生派遣などに着手した。外交では、列強を競合させ、その勢力均衡の上にたって朝鮮の永世中立化を実現しようと構想し、1901年以後、日本・ベルギー・ロシアなどに列国共同保証による永世中立化案を提起していたが、日露開戦直前の1904年1月23日には「戦時局外中立」声明を世界に向けて発信した。韓国政府の局外中立声明は、イギリス・ドイツ・フランス・デンマーク・清国・イタリアがこれを承認した。

  しかし、これらの一連の内外政策の試みは、韓国政府の局外中立声明を無視した日本による日露開戦と韓国占領によって挫折してしまう。


このスゴイ文書は2に続きます。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)