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イルポンにしてやられたニダ

投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/01/21 21:11 投稿番号: [6330 / 10735]
記事入力 : 2008/01/21 17:00:21
【萬物相】多宝塔と釈迦塔

  仏国寺(慶尚北道慶州市)多宝塔の基壇の上、西側に小さな石の獅子が1体、座っている。もともと四方に1体ずつあったのだが、東京大学教授を務めた考古学者、関野貞(せきの・ただす)が1902年に仏国寺を調査し本を出版した後、保存状態の良かった2体が消えた。貴重な遺物を狙った日本人の魔の手にかかったのだ。残り2体のうち、1体もいつの間にか無くなった。結局、顔に傷がつき、所蔵品としての価値が落ちる1体だけが残り、塔を守っている。

  1924年に日本は荒れ果てた仏国寺を修復、大々的な改修作業を行った。法堂・石垣・石橋を建て直し、多宝塔を解体修理した。地元・慶州の人々は「工事をする人たちは朝鮮人を近付けず、多宝塔にあった文化財を風呂敷に包み持って行った」と後に証言している。日本は当時の工事記録や写真を全く残していないため、そこに何があったのかは分からない。

  多宝塔は隣の釈迦塔と共に、新羅・景徳王10年(751年)の仏国寺建立時に建てられた。単に東塔・西塔と呼ばれるほかの寺の双塔とは違い、それぞれに名があるのは、現世の仏である釈迦如来の説法を、過去の仏である多宝如来が証明するという法華経に由来する。華麗な美しさとシンプルな美しさの極致とも言える多宝塔・釈迦塔は不思議な調和を成し、「石造美術の華」と言われている。

  1924年に日本が多宝塔から持ち去った遺物が、東京国立美術館にあるという説が発表された。東国大学のハン・ジョンホ専任研究員は、「日本植民地時代に大邱電気社長を務め、韓国の文化財を手当たり次第集めた小倉武之助が1982年に寄贈した“小倉コレクション”のうち、“慶州南山のある塔にあったという遺物のセット”こそ多宝塔の遺物だ」という論文を出した。1966年の釈迦塔解体修理時に出た「墨書紙片」(墨で字が書かれた紙片)の「多宝塔重修記」を解読したところ、多宝塔遺物目録と小倉コレクションの遺物が一致したというのだ。

  多宝塔と釈迦塔は朝鮮時代末まで1度も補修されていないと言われてきた。しかし、墨書紙片の解読が進むうちに、釈迦塔が高麗時代の1038年に修理されていたことが昨年、明らかになった。そして今回、多宝塔も1024年に改修されたという説が出た。ベールに包まれていた二つの塔の1200年の歴史が徐々に明らかになってきたのだ。失われた多宝塔の遺物の所在が、釈迦塔の遺物を通じ明らかになったことも不思議だ。長い歳月を兄弟のように寄り添ってきた二つの塔の関係を示しているようで、神秘的でさえある。

李先敏(イ・ソンミン)論説委員
朝鮮日報/朝鮮日報JNS


そのままにしておくと、やがて全部朽ち果ててしまったろうとはかんがえないんですね。
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