朝鮮の変革運動と世界史的課題 1
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/01/17 10:17 投稿番号: [6255 / 10735]
〈朝鮮史から民族を考える〉
朝鮮の変革運動と世界史的課題
主体的成長過程の跡づけを
近代の変革運動=開化派と甲午農民軍
19世紀の80年代から90年代初の時期に、朝鮮では、国内体制を変革して列強の侵略を防ごうとする勢力が、二つ存在した。一つは革新官僚を中核とした開化派であり、もう一つは東学という新興宗教団体を媒体とした農民の結集体であった。
金玉均を中心とする開化派は、甲午の農民軍とは全く異なる明確なブルジョア的変革の構想を持っていた。しかし、あいにく開化派の国内基盤は弱く、民衆からも遊離していた。結局開化派は上からのブルジョア改革をめざし、明治維新以後の日本の近代化に倣ったのである。開化派は自主的に政変を挙行することを決意し、不足する財力や軍事力は日本を利用して解決しようとするが、その「利用」の実態は決して主体的なものではなく、ただ安易な「依存」にすぎなかった。このため甲申(1884年)政変の決定的な時期には、日本の態度如何という外的条件の変化が勝敗の決定的要因となってしまう。こういう経過があって、彼らの姿勢はますます国内の反感を買うことになってしまった。
一方、農民層、とくに甲午の農民軍は、政治勢力としてはなお未熟な面を持っていたとはいえ、開化派よりも根底的な変革をめざしていたのは間違いない。すでに朝鮮王朝末期には、自立再生産不可能な貧農層が一般的に存在しており、農民蜂起の主体と指導層は半プロレタリアを含む下層民に移行していた。それはこの段階における社会構造・社会矛盾の特質の反映であった。この特質は、開港後の対日米穀輸出の進展による穀物市場の破壊によって、さらに拡大された。こうして貧農、都市貧民など下層民による反封建・反侵略的な蜂起が常態化していくことになるが、その頂点に甲午(1894年)農民戦争があったのである。
全琫準を指導者とする甲午農民戦争は、決してブルジョア的近代を志向するような反乱ではなかった。「貧農・半プロなど下層民を主体とした農民軍」がめざしたものは、徹底した平均主義に支えられた「一君万民」的社会の構築であった(趙景達)。現実可能性としても、農民軍側と政府側とのあいだで結ばれた全州和約によって、下からの幣制改革案と上からの改革案が結びついて、自立的な近代化の道が大きく開かれようとしていたが、彼らの闘いは、日本軍と政府軍の弾圧により結局は敗北してしまう。しかしこの闘いは、農民の真の解放なくして民族的な解放はありえないという、以後の朝鮮のみならず、アジアの大多数の国々にとっての変革のあるべき姿を先駆的に示したものとして画期的な意義をもっていたといえよう。
レーニンが「二つのユートピア」の中で、ロシアのナロードニキ的ユートピア(公正な、均等な土地分割)の歴史的役割について述べたように、甲午の農民軍がめざしたところのものは、西欧や日本におけるブルジョア的変革の見地からすれば「誤り」であり、ただのユートピアであったかもしれないが、世界史的には真理であった。
2に続きます。
主体的成長過程の跡づけを
近代の変革運動=開化派と甲午農民軍
19世紀の80年代から90年代初の時期に、朝鮮では、国内体制を変革して列強の侵略を防ごうとする勢力が、二つ存在した。一つは革新官僚を中核とした開化派であり、もう一つは東学という新興宗教団体を媒体とした農民の結集体であった。
金玉均を中心とする開化派は、甲午の農民軍とは全く異なる明確なブルジョア的変革の構想を持っていた。しかし、あいにく開化派の国内基盤は弱く、民衆からも遊離していた。結局開化派は上からのブルジョア改革をめざし、明治維新以後の日本の近代化に倣ったのである。開化派は自主的に政変を挙行することを決意し、不足する財力や軍事力は日本を利用して解決しようとするが、その「利用」の実態は決して主体的なものではなく、ただ安易な「依存」にすぎなかった。このため甲申(1884年)政変の決定的な時期には、日本の態度如何という外的条件の変化が勝敗の決定的要因となってしまう。こういう経過があって、彼らの姿勢はますます国内の反感を買うことになってしまった。
一方、農民層、とくに甲午の農民軍は、政治勢力としてはなお未熟な面を持っていたとはいえ、開化派よりも根底的な変革をめざしていたのは間違いない。すでに朝鮮王朝末期には、自立再生産不可能な貧農層が一般的に存在しており、農民蜂起の主体と指導層は半プロレタリアを含む下層民に移行していた。それはこの段階における社会構造・社会矛盾の特質の反映であった。この特質は、開港後の対日米穀輸出の進展による穀物市場の破壊によって、さらに拡大された。こうして貧農、都市貧民など下層民による反封建・反侵略的な蜂起が常態化していくことになるが、その頂点に甲午(1894年)農民戦争があったのである。
全琫準を指導者とする甲午農民戦争は、決してブルジョア的近代を志向するような反乱ではなかった。「貧農・半プロなど下層民を主体とした農民軍」がめざしたものは、徹底した平均主義に支えられた「一君万民」的社会の構築であった(趙景達)。現実可能性としても、農民軍側と政府側とのあいだで結ばれた全州和約によって、下からの幣制改革案と上からの改革案が結びついて、自立的な近代化の道が大きく開かれようとしていたが、彼らの闘いは、日本軍と政府軍の弾圧により結局は敗北してしまう。しかしこの闘いは、農民の真の解放なくして民族的な解放はありえないという、以後の朝鮮のみならず、アジアの大多数の国々にとっての変革のあるべき姿を先駆的に示したものとして画期的な意義をもっていたといえよう。
レーニンが「二つのユートピア」の中で、ロシアのナロードニキ的ユートピア(公正な、均等な土地分割)の歴史的役割について述べたように、甲午の農民軍がめざしたところのものは、西欧や日本におけるブルジョア的変革の見地からすれば「誤り」であり、ただのユートピアであったかもしれないが、世界史的には真理であった。
2に続きます。
これは メッセージ 6249 (jgeilsbandfreak さん)への返信です.
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