盧武鉉政権の「安保独裁」(1)
投稿者: jgeilsbandfreek 投稿日時: 2006/07/17 18:40 投稿番号: [1856 / 10735]
朝鮮日報 記事入力 : 2006/07/17 18:19
【コラム】盧武鉉政権の「安保独裁」
盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は北朝鮮のミサイル発射をかばいきれなくなるや、これを批判する勢力に対して「安保独裁」というレッテルを貼り、「朝から会議を開いて国民を不安にさせろというのか」という姿勢を示すなど、逆に腹を立てている。
盗人猛々しい居直りもここまでくれば芸術だ。大統領府の指摘通り、過去の軍事政権時代には、「北朝鮮の侵攻」を強調して戦争への恐怖心をあおり、それによって反政府勢力を抑えこんだことが何度もあった。現在の大統領府は「一部の野党とマスコミが危機をあおり立て、大騷ぎしている」として、過去の軍事政権がとってきた「安保独裁」を今やマスコミなどが繰り広げているとしている。
しかし、当時と今とでは事情が違う。以前は安全保障に関する情報は、マスコミと野党には全く知らされなかった。安全保障に関する情報は国家権力が独占していた。そのため、政府が安全保障上の危機を必要以上にあおり立てたり、時としてないことまででっち上げて国民をだますことも可能だった。
ところが現在では、安全保障に関わる多くの情報が国民に公開されている。政府がそれを隠そうとしたり、大げさにしようとしたりすることは不可能だ。一歩進んで、国民は北朝鮮のミサイル発射がどの程度のもので、どんな意味を持っているのか、また盧政権がなぜこのように北朝鮮をかばおうとするのかもすべて知っている。このような状況にあって、盧政権がマスコミや野党に対して「安保独裁時代の亡霊」などと強弁する理由が、未熟さゆえのことではなく意図的なことだということを、今やわれわれは理解できる。現在、過去とは違った意味での「安保独裁」を展開しているのは盧武鉉政権のほうだ。
「安保独裁」の問題で、二番目に指摘しておきたいのは、国家の安全保障は1%、いや、0.01%の可能性に対処する概念だという点だ。戦争や武力挑発はそう簡単に起こることではない。どの国でも数百年もの平和な状態が維持されている。それにもかかわらず、どの国でもGDPの3%ほどが国防費に使われている。効率から考えれば、ばかげた投資ともいえるだろう。そのカネを国民生活の向上に使えたら、国はさらに豊かになるだろう。それでも安全保障に全力投球せざるを得ないのは、「万一の事態」によって国と国民を失う恐れがあるからだ。
安全保障は常に足りない状態よりも満ちあふれている状態でなければならない。少しでも異常な兆候が見られれば、「大騒ぎ」しなければならないのだ。米国や日本のマスコミが、ややもすれば自らがミサイルの標的にもなりかねないという中で、1週間以上にわたってこの問題をトップで取り上げ、あらゆる可能性に言及して「大騒ぎ」をしてきた理由もそこにある。盧政権の面々は基本的に安全保障に関する概念がないようだ。北朝鮮を潜在的な敵とみなしていないからだ。従って、盧政権がミサイル発射に寛大な対応をした一方で、米日と韓国のマスコミに不快感をあらわにしたのは至極当然のことだ。
【コラム】盧武鉉政権の「安保独裁」
盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は北朝鮮のミサイル発射をかばいきれなくなるや、これを批判する勢力に対して「安保独裁」というレッテルを貼り、「朝から会議を開いて国民を不安にさせろというのか」という姿勢を示すなど、逆に腹を立てている。
盗人猛々しい居直りもここまでくれば芸術だ。大統領府の指摘通り、過去の軍事政権時代には、「北朝鮮の侵攻」を強調して戦争への恐怖心をあおり、それによって反政府勢力を抑えこんだことが何度もあった。現在の大統領府は「一部の野党とマスコミが危機をあおり立て、大騷ぎしている」として、過去の軍事政権がとってきた「安保独裁」を今やマスコミなどが繰り広げているとしている。
しかし、当時と今とでは事情が違う。以前は安全保障に関する情報は、マスコミと野党には全く知らされなかった。安全保障に関する情報は国家権力が独占していた。そのため、政府が安全保障上の危機を必要以上にあおり立てたり、時としてないことまででっち上げて国民をだますことも可能だった。
ところが現在では、安全保障に関わる多くの情報が国民に公開されている。政府がそれを隠そうとしたり、大げさにしようとしたりすることは不可能だ。一歩進んで、国民は北朝鮮のミサイル発射がどの程度のもので、どんな意味を持っているのか、また盧政権がなぜこのように北朝鮮をかばおうとするのかもすべて知っている。このような状況にあって、盧政権がマスコミや野党に対して「安保独裁時代の亡霊」などと強弁する理由が、未熟さゆえのことではなく意図的なことだということを、今やわれわれは理解できる。現在、過去とは違った意味での「安保独裁」を展開しているのは盧武鉉政権のほうだ。
「安保独裁」の問題で、二番目に指摘しておきたいのは、国家の安全保障は1%、いや、0.01%の可能性に対処する概念だという点だ。戦争や武力挑発はそう簡単に起こることではない。どの国でも数百年もの平和な状態が維持されている。それにもかかわらず、どの国でもGDPの3%ほどが国防費に使われている。効率から考えれば、ばかげた投資ともいえるだろう。そのカネを国民生活の向上に使えたら、国はさらに豊かになるだろう。それでも安全保障に全力投球せざるを得ないのは、「万一の事態」によって国と国民を失う恐れがあるからだ。
安全保障は常に足りない状態よりも満ちあふれている状態でなければならない。少しでも異常な兆候が見られれば、「大騒ぎ」しなければならないのだ。米国や日本のマスコミが、ややもすれば自らがミサイルの標的にもなりかねないという中で、1週間以上にわたってこの問題をトップで取り上げ、あらゆる可能性に言及して「大騒ぎ」をしてきた理由もそこにある。盧政権の面々は基本的に安全保障に関する概念がないようだ。北朝鮮を潜在的な敵とみなしていないからだ。従って、盧政権がミサイル発射に寛大な対応をした一方で、米日と韓国のマスコミに不快感をあらわにしたのは至極当然のことだ。
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