大阪女学院大准教授(2)
投稿者: jgeilsbandfreek 投稿日時: 2006/06/27 17:16 投稿番号: [1165 / 10735]
国際人権法においては、外国人学校、民族学校が実施する母国語教育、民族教育は、普遍的人権としての「教育に対する権利」の一部であると同時に、民族的、宗教的、言語的マイノリティに属する人々の持つ権利である。つまり、すべての人に平等に保障されるべき人権としてだけではなく、マイノリティに特有な権利として二重に保護される人権なのである。
自由権規約第27条は、「民族的、宗教的、言語的マイノリティが存在する国において、当該マイノリティに属する者は、その集団の他の構成員とともに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰、実践し、自己の言語を使用する権利を否定されない」と規定する。「否定されない」とする、このような消極的表現が起草時に採用されたことには歴史的背景があり、この消極性は採択以降、自由権規約委員会による解釈および「民族的、宗教的、言語的マイノリティに属する人々の権利に関する宣言」の採択などによって次第に克服されてきた。
非差別平等原則は国際人権法の中核的原理である。世界人権宣言をはじめ多くの国際人権文書が定めるように、すべての人は、「いかなる差別もなしに」そこに規定されるすべての権利と自由を享有する。「すべての人」とはすべての自然人であり、当然「外国人」も含まれる。また、「いかなる差別」には国籍や市民権(の有無)に基づく差別も含まれるのであって、内外人平等は国際人権法における一般原則である。
人権に関する一般原則である内外人平等原則は当然、自由権のみならず経済的、社会的権利にも適用される。
原告の請求のうち、当該都有地の明け渡し、それに伴う校舎の一部取り壊しによって得られる財産上の利益は大きいとは言いがたい。他方、その行為によって被告らが被る不利益は単なる経済的損失ではなく、すでに述べたように重要で基礎的な人権としての「教育に対する権利」と「マイノリティとしての文化享有権」の侵害である。
地方公共団体が、特定の民族的グループに対してそれらの人権の享受を妨げる結果を及ぼす権利行使を行うことは、人種差別撤廃条約の禁止する人種差別に相当する。人種差別は、さまざまな形態による多様な人権侵害の中でも、人間の人格と尊厳を踏みにじることから、とくに悪質な人権侵害であり、国際法上、無条件に禁止される行為であって、そもそも翻って比較衡量の対象にはならないとも言うべきである。
以上の理由から、原告の請求は棄却されるべきである。万一、原告の請求が認められるようなことがあれば、外国人学校、民族学校に対して半世紀も続いてきた制度的人権侵害を救済すべき司法がそれを追認し、さらなる人権侵害に司法が「お墨付き」を与えることになる。
長年、外国人学校の大半を占めてきた朝鮮学校に対する日本政府の対応の歴史は、差別と冷遇の歴史である。
敗戦に続く米軍占領下の時期には、自主的に始められた母国語教育、民族教育の弾圧や、民族学校の強制的な閉鎖と接収さえ行われた。1965年に文部省が都道府県知事に対して出して通達は、朝鮮人学校が「わが国の社会にとって、各種学校の地位を与える積極的意義を有するものとは認められない」と断定し、朝鮮学校の不認可を要請した。
その後、次第に各種学校として認可する都道府県が増えたことから事実上、行政指導としての効力は減じられていたとはいえ、その通達の失効が正式に確認されたのは2000年である。
国際人権法の根底にある、人間の価値の平等と尊厳の尊重の理念に背く、これらの行為の償いと同等の処遇こそが必要とされるのである。
本件における裁判所の判断は、当該朝鮮学校に留まらず、日本社会で増加する外国籍の子どもたちの教育、外国人学校、民族学校全般に対する国家政策の欠如と不備を補ってきた多くの自治体の政策と実行に少なからぬ影響を及ぼすことが予測される。裁判所には、従来の判例にとらわれることなく、公権力から弱者を護るという法の本来の目的に沿った判断を下していただきたい。
[朝鮮新報 2006.6.27]
マイノリティ=弱者ではないんですけどね。
「積極的に受け入れた大阪の現状はどうよ?」とは言いません。
自由権規約第27条は、「民族的、宗教的、言語的マイノリティが存在する国において、当該マイノリティに属する者は、その集団の他の構成員とともに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰、実践し、自己の言語を使用する権利を否定されない」と規定する。「否定されない」とする、このような消極的表現が起草時に採用されたことには歴史的背景があり、この消極性は採択以降、自由権規約委員会による解釈および「民族的、宗教的、言語的マイノリティに属する人々の権利に関する宣言」の採択などによって次第に克服されてきた。
非差別平等原則は国際人権法の中核的原理である。世界人権宣言をはじめ多くの国際人権文書が定めるように、すべての人は、「いかなる差別もなしに」そこに規定されるすべての権利と自由を享有する。「すべての人」とはすべての自然人であり、当然「外国人」も含まれる。また、「いかなる差別」には国籍や市民権(の有無)に基づく差別も含まれるのであって、内外人平等は国際人権法における一般原則である。
人権に関する一般原則である内外人平等原則は当然、自由権のみならず経済的、社会的権利にも適用される。
原告の請求のうち、当該都有地の明け渡し、それに伴う校舎の一部取り壊しによって得られる財産上の利益は大きいとは言いがたい。他方、その行為によって被告らが被る不利益は単なる経済的損失ではなく、すでに述べたように重要で基礎的な人権としての「教育に対する権利」と「マイノリティとしての文化享有権」の侵害である。
地方公共団体が、特定の民族的グループに対してそれらの人権の享受を妨げる結果を及ぼす権利行使を行うことは、人種差別撤廃条約の禁止する人種差別に相当する。人種差別は、さまざまな形態による多様な人権侵害の中でも、人間の人格と尊厳を踏みにじることから、とくに悪質な人権侵害であり、国際法上、無条件に禁止される行為であって、そもそも翻って比較衡量の対象にはならないとも言うべきである。
以上の理由から、原告の請求は棄却されるべきである。万一、原告の請求が認められるようなことがあれば、外国人学校、民族学校に対して半世紀も続いてきた制度的人権侵害を救済すべき司法がそれを追認し、さらなる人権侵害に司法が「お墨付き」を与えることになる。
長年、外国人学校の大半を占めてきた朝鮮学校に対する日本政府の対応の歴史は、差別と冷遇の歴史である。
敗戦に続く米軍占領下の時期には、自主的に始められた母国語教育、民族教育の弾圧や、民族学校の強制的な閉鎖と接収さえ行われた。1965年に文部省が都道府県知事に対して出して通達は、朝鮮人学校が「わが国の社会にとって、各種学校の地位を与える積極的意義を有するものとは認められない」と断定し、朝鮮学校の不認可を要請した。
その後、次第に各種学校として認可する都道府県が増えたことから事実上、行政指導としての効力は減じられていたとはいえ、その通達の失効が正式に確認されたのは2000年である。
国際人権法の根底にある、人間の価値の平等と尊厳の尊重の理念に背く、これらの行為の償いと同等の処遇こそが必要とされるのである。
本件における裁判所の判断は、当該朝鮮学校に留まらず、日本社会で増加する外国籍の子どもたちの教育、外国人学校、民族学校全般に対する国家政策の欠如と不備を補ってきた多くの自治体の政策と実行に少なからぬ影響を及ぼすことが予測される。裁判所には、従来の判例にとらわれることなく、公権力から弱者を護るという法の本来の目的に沿った判断を下していただきたい。
[朝鮮新報 2006.6.27]
マイノリティ=弱者ではないんですけどね。
「積極的に受け入れた大阪の現状はどうよ?」とは言いません。
これは メッセージ 1164 (jgeilsbandfreek さん)への返信です.
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