ウリは正しいニダ1
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2011/10/14 16:27 投稿番号: [10322 / 10735]
神奈川中高創立60周年記念民族教育フォーラム
パネルディスカッション
「未来への架け橋」
東アジアの平和と共存の未来へ
神奈川朝鮮中高級学校創立60周年記念行事の一環である、民族教育フォーラム「未来への架け橋」が9月25日、KAAT神奈川芸術劇場で行われた。
第2部では、「未来の架け橋」と題し、パネルディスカッションが行われ、民族教育の正当性とさまざまな可能性について熱い議論が繰り広げられた。パネラーたちの発言内容(要旨)を紹介する。
日弁連元人権擁護委員会委員長 鈴木孝雄 「子どもたちが奪われている権利の回復」
高体連問題と学校の資格、助成問題の調査で、全国のいくつもの朝鮮学校を見たが、民族文化を教育する学校として完備している。若い先生も若くない先生も、男性も女性もすべての先生には、自分の身のことは考えずに、まず子どものために行動がとれる。そういうものを持っていると私には見えた。それが子どもたちが安心して学び、育つことができる、かけがえのない存在になっている。私がそれを見て以来、朝鮮学校に正確な資格を与えるのに対して文句があるやつがいれば、いつでも子どもたちを見にきなさい、どのような教育が行われているのか、子どもたちを一目見ればすぐわかる。私はこれまで自信を持ってそう説明してきた」
「子どもたちは、子どもの権利条約を日本が批准したときから、この条約で保障されている権利を持っている。『高校無償化』の問題だけではなく、そもそも義務教育も無償で受ける権利を既にそれぞれが持っている。それが実現していないということは、奪われているのだ。
この問題は、子どもたちが奪われている権利をどのように取り戻すか、ということが具体的に議論されなければならない。
既に『子どもたちが持っている権利』なのだから、『日本が遅れている』とか、これから理解させるというのではない。私が10年以上前に書いた日弁連の意見書さえ見ていない。あのとき、大学受験資格の問題で『私たちは、こうしてお願いして回っているのです』と言っていた人がいたが、お願いする筋合いのものではないだろう。保障されているのに奪われている権利を如何に取り戻すかの問題として検討されなければならない」
神奈川大学法科大学院教授 阿部浩己 「多元的社会の構築へ」
子どもの権利条約の中にもあるように、子どもたちが自分の民族の言語、文化、歴史を学べるよう保障をすることは世界のスタンダード。
しかし日本では、「無償化」問題など、戦後一貫した日本の在日外国人、特に在日朝鮮人に対する差別、排斥意識が色濃く残っている。その差別の背景には、未だ清算されていない植民地支配の歴史がある。歴史を清算しない限り差別はなくならない。植民地支配そのものをどう考えるのか、そしてそれを現在から未来へどうつなげるのかを、子どもの人権と並べて考えなくてはならない。これは日本社会の最大の課題である。
東アジアの平和の実現のため、国際法が未来に向けて発しているメッセージでもある、「多元的社会」を日本が作るべきである。紛争がなく多くの民族的、文化的価値が認められる社会をいかに構築していくのかという点で、議論を深めていく必要がある。それが、国レベルでの共存にもつながっていくはず。
そして、日本社会の多元化において欠かせない朝鮮学校が果たす役割をもう一度見つめ直す必要がある。人間の尊厳、特に社会的に弱い立場の人々を優先的に保障するということは20世紀末の共通の了解であった。そういったグローバルな潮流を踏まえて、朝鮮学校の問題を考えるということで、東アジアの平和につながるのである。
2に続きます。
東アジアの平和と共存の未来へ
神奈川朝鮮中高級学校創立60周年記念行事の一環である、民族教育フォーラム「未来への架け橋」が9月25日、KAAT神奈川芸術劇場で行われた。
第2部では、「未来の架け橋」と題し、パネルディスカッションが行われ、民族教育の正当性とさまざまな可能性について熱い議論が繰り広げられた。パネラーたちの発言内容(要旨)を紹介する。
日弁連元人権擁護委員会委員長 鈴木孝雄 「子どもたちが奪われている権利の回復」
高体連問題と学校の資格、助成問題の調査で、全国のいくつもの朝鮮学校を見たが、民族文化を教育する学校として完備している。若い先生も若くない先生も、男性も女性もすべての先生には、自分の身のことは考えずに、まず子どものために行動がとれる。そういうものを持っていると私には見えた。それが子どもたちが安心して学び、育つことができる、かけがえのない存在になっている。私がそれを見て以来、朝鮮学校に正確な資格を与えるのに対して文句があるやつがいれば、いつでも子どもたちを見にきなさい、どのような教育が行われているのか、子どもたちを一目見ればすぐわかる。私はこれまで自信を持ってそう説明してきた」
「子どもたちは、子どもの権利条約を日本が批准したときから、この条約で保障されている権利を持っている。『高校無償化』の問題だけではなく、そもそも義務教育も無償で受ける権利を既にそれぞれが持っている。それが実現していないということは、奪われているのだ。
この問題は、子どもたちが奪われている権利をどのように取り戻すか、ということが具体的に議論されなければならない。
既に『子どもたちが持っている権利』なのだから、『日本が遅れている』とか、これから理解させるというのではない。私が10年以上前に書いた日弁連の意見書さえ見ていない。あのとき、大学受験資格の問題で『私たちは、こうしてお願いして回っているのです』と言っていた人がいたが、お願いする筋合いのものではないだろう。保障されているのに奪われている権利を如何に取り戻すかの問題として検討されなければならない」
神奈川大学法科大学院教授 阿部浩己 「多元的社会の構築へ」
子どもの権利条約の中にもあるように、子どもたちが自分の民族の言語、文化、歴史を学べるよう保障をすることは世界のスタンダード。
しかし日本では、「無償化」問題など、戦後一貫した日本の在日外国人、特に在日朝鮮人に対する差別、排斥意識が色濃く残っている。その差別の背景には、未だ清算されていない植民地支配の歴史がある。歴史を清算しない限り差別はなくならない。植民地支配そのものをどう考えるのか、そしてそれを現在から未来へどうつなげるのかを、子どもの人権と並べて考えなくてはならない。これは日本社会の最大の課題である。
東アジアの平和の実現のため、国際法が未来に向けて発しているメッセージでもある、「多元的社会」を日本が作るべきである。紛争がなく多くの民族的、文化的価値が認められる社会をいかに構築していくのかという点で、議論を深めていく必要がある。それが、国レベルでの共存にもつながっていくはず。
そして、日本社会の多元化において欠かせない朝鮮学校が果たす役割をもう一度見つめ直す必要がある。人間の尊厳、特に社会的に弱い立場の人々を優先的に保障するということは20世紀末の共通の了解であった。そういったグローバルな潮流を踏まえて、朝鮮学校の問題を考えるということで、東アジアの平和につながるのである。
2に続きます。
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