これが通信使接待メニューニダ♪
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2008/03/06 09:48 投稿番号: [2613 / 6487]
>1810年、通信使接待を担当した小倉藩(福岡県)藩主の姓で料理の予行演習をしたと書がれている。藩主の家臣たちが料理の材料と製法などを詳細な記録で残したのだ。
な〜んだ。「小笠原流」ってことだろ?
なにもわざわざ「藩主の姓で」とはなあ。(笑)
武家作法の基本だわな。
>朝鮮通信使の代表である三史(正史・副詞・従事官)と上官(三使の随行官吏)に提供された接待料理は3膳に盛られた器の数がそれぞれ7個、5個、3個で「七五三」と呼ばれた。塩で味付けした竹の子とタラやあわびなど高級食材を盛った膳、カステラや羊かんなど多様な色のお菓子を盛った膳、日本伝統芸能の能の公演場面を再現した人形飾りを盛った膳など33の食材を精密に描いている。
たしかに立派だわ。
朝鮮人じゃ、一生クチに出来なかったものだろうしな。
朝鮮人はカステラ食えたのかな、ウリナラでは。
当時の朝鮮に、羊羹とか落雁とか、カステラみたいな上品な菓子はあったのかな?
なんだか、砂糖と粉を混ぜて水でコネて、焼けた石にベチャっとはりつけて焼いたナンまがいのものとか、ありそうな希ガス。
でも、絵が残っているのは大した話だ。
支那の満漢全席なんて、名前が分かっていてもどういうものかが分からないメニューもあるんだしな。
で、これだけイイものあてがわれて、まだニワトリを盗むとか、欲深かったんだよなあ、彼奴等は…orz
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝鮮通信使を接待したときの料理が絵本で公開…日本福山市
約200年前、日本を訪問した朝鮮通信使を接待した料理を描いた絵本が公開された。朝鮮通信使接待料理絵はこれまでにも存在していたが、カラーの絵に説明文と調理法、図緑を残すことになった経緯などが記録された作品は初めてだ。
広島県福山市鞆の浦の歴史民俗資料館が今回公開・展示する絵は横836センチ、縦30センチの長い図緑だ。
朝鮮通信使の代表である三史(正史・副詞・従事官)と上官(三使の随行官吏)に提供された接待料理は3膳に盛られた器の数がそれぞれ7個、5個、3個で「七五三」と呼ばれた。塩で味付けした竹の子とタラやあわびなど高級食材を盛った膳、カステラや羊かんなど多様な色のお菓子を盛った膳、日本伝統芸能の能の公演場面を再現した人形飾りを盛った膳など33の食材を精密に描いている。
図緑の最後に書かれた説明文には、朝鮮通信使の日本訪問(1811年)を控え、1810年、通信使接待を担当した小倉藩(福岡県)藩主の姓で料理の予行演習をしたと書がれている。藩主の家臣たちが料理の材料と製法などを詳細な記録で残したのだ。
鞆の浦歴史民俗資料館の檀上浩二学芸員は「江戸幕府がどれだけ朝鮮通信使の接待に余念がなかったか、改めて確認することができる」と説明した。壬辰倭乱(文禄の役)以後、1706〜1811年に12回日本を訪問した朝鮮通信使は、朝鮮の政治文化使節として両国間の平和構築及び文物交流に重要な役割をした。
東京=パク・ソヨン特派員/中央日報 joins.com
2008.03.06 07:45:44
な〜んだ。「小笠原流」ってことだろ?
なにもわざわざ「藩主の姓で」とはなあ。(笑)
武家作法の基本だわな。
>朝鮮通信使の代表である三史(正史・副詞・従事官)と上官(三使の随行官吏)に提供された接待料理は3膳に盛られた器の数がそれぞれ7個、5個、3個で「七五三」と呼ばれた。塩で味付けした竹の子とタラやあわびなど高級食材を盛った膳、カステラや羊かんなど多様な色のお菓子を盛った膳、日本伝統芸能の能の公演場面を再現した人形飾りを盛った膳など33の食材を精密に描いている。
たしかに立派だわ。
朝鮮人じゃ、一生クチに出来なかったものだろうしな。
朝鮮人はカステラ食えたのかな、ウリナラでは。
当時の朝鮮に、羊羹とか落雁とか、カステラみたいな上品な菓子はあったのかな?
なんだか、砂糖と粉を混ぜて水でコネて、焼けた石にベチャっとはりつけて焼いたナンまがいのものとか、ありそうな希ガス。
でも、絵が残っているのは大した話だ。
支那の満漢全席なんて、名前が分かっていてもどういうものかが分からないメニューもあるんだしな。
で、これだけイイものあてがわれて、まだニワトリを盗むとか、欲深かったんだよなあ、彼奴等は…orz
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朝鮮通信使を接待したときの料理が絵本で公開…日本福山市
約200年前、日本を訪問した朝鮮通信使を接待した料理を描いた絵本が公開された。朝鮮通信使接待料理絵はこれまでにも存在していたが、カラーの絵に説明文と調理法、図緑を残すことになった経緯などが記録された作品は初めてだ。
広島県福山市鞆の浦の歴史民俗資料館が今回公開・展示する絵は横836センチ、縦30センチの長い図緑だ。
朝鮮通信使の代表である三史(正史・副詞・従事官)と上官(三使の随行官吏)に提供された接待料理は3膳に盛られた器の数がそれぞれ7個、5個、3個で「七五三」と呼ばれた。塩で味付けした竹の子とタラやあわびなど高級食材を盛った膳、カステラや羊かんなど多様な色のお菓子を盛った膳、日本伝統芸能の能の公演場面を再現した人形飾りを盛った膳など33の食材を精密に描いている。
図緑の最後に書かれた説明文には、朝鮮通信使の日本訪問(1811年)を控え、1810年、通信使接待を担当した小倉藩(福岡県)藩主の姓で料理の予行演習をしたと書がれている。藩主の家臣たちが料理の材料と製法などを詳細な記録で残したのだ。
鞆の浦歴史民俗資料館の檀上浩二学芸員は「江戸幕府がどれだけ朝鮮通信使の接待に余念がなかったか、改めて確認することができる」と説明した。壬辰倭乱(文禄の役)以後、1706〜1811年に12回日本を訪問した朝鮮通信使は、朝鮮の政治文化使節として両国間の平和構築及び文物交流に重要な役割をした。
東京=パク・ソヨン特派員/中央日報 joins.com
2008.03.06 07:45:44
これは メッセージ 1 (kaiyouminzoku333 さん)への返信です.
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