朝鮮食べ物談義

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さすが朝P!という記事 1

投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/03/02 09:10 投稿番号: [2601 / 6487]
故郷の味   正月の水餃子   可越さん
2008年03月01日

  2月7日は中国の旧暦のお正月だった。私は北京出張のついでにお正月の前日に故郷の長春に帰った。数えてみると、日本へ来てから7年も故郷で家族と一緒にお正月を過ごしてなかったのだ。
  長春はマイナス15度の真冬。長年東京にいるからもうあの寒さを忘れたかと思っていたが、透き通った冬の青空を眺め、きりっとした冷たい空気の中で深呼吸した瞬間、幼いころの記憶が戻り、懐かしい故郷の味がよみがえってきた。
  92歳の祖母は健在で、目が見えなくなりつつあるが、私が帰るのを知って、何日も前からお正月用の服を取り出し待ってくれていたようだ。久々に会った私の顔をじっと見つめ、涙ぐんで喜んでくれた。
  小さい頃の私はおばあちゃんっ子だった。母親が学校の先生をしていたので、よく祖母が家で私の面倒を見てくれていた。
  その時に祖母からよく昔の話を聞いた。自分が嫁いだ時のことだ。
  「おまえらはいまご飯をいっぱい食べられて幸せよ。ばあちゃんは、若い時、苦労をしたわ。戦争時代でね。白いお米をあなたのひいおじいさんが食べるために隠していてさ。あの時代、白いお米は日本人のためだけの食料で、中国人が食べたら『経済犯』として捕まえられるのよ。怖かったわ」
  1940年代の日中戦争の時に、祖母は20代だった。満州国の首都だった新京―つまり、私の故郷である長春―にいた。
  「白いお米」の話を何回か聴いたが、しかし、私にとってそれははるかに遠い存在だった。80年代に中学に入った私は、日本のドラマや映画、アニメにとっぷりと浸かり、「鉄腕アトム」、「一休さん」はもちろん、大学生の時には「東京ラブストーリー」に夢中になった。とにかく日本に行ってみたいという思いで、大学で日本語を専攻し、卒業してすぐ東京に留学してきた。
  留学生時代に年1回故郷に帰っていたが、帰国して会うたびに、祖母は「日本にいて大変だろう。ご飯をいっぱい食べられないでしょう」といつも心配しそうに言っていた。
  「ほら、こんなに太ったのよ」
  笑って見せても、相変わらず心配そうな顔をしていた。
  3年前に私の友人―中塚さんという千葉工業大学の女子大学生―が長春に留学して、我が家に1年間ホームステイした。中塚さんは中国語が堪能で、祖母とよく話をしていたようだ。日本の若者の生活を祖母に教え、きっと私の日本生活も想像しながらだろうが、祖母はいつも興味津々に聴いていたらしい。
  祖母も中国のことを中塚さんに教え、美味しい料理をもいつも作ってあげていた。
  「中塚ちゃんは水餃子が大好きでね、よく食べていたよ」
  1年後に中塚さんが日本へ戻った後も、祖母は既に中塚さんを孫娘のように可愛がって、日本へ戻るのが悲しかったそうだ。
  「ご飯をいっぱい食べられない」という祖母の日本のイメージは変えられたようで、私もほっとした。祖母はいまでも毎月中塚さんからのはがきをベッドに置いて、繰り返し読んでいる。
  そんな訳で、今年は久々に故郷のお正月のにぎやかさを味わった。

2に続きます。
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