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街道を逝く 大和のみち⑳+①(最終話)

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/12/24 17:54 投稿番号: [782 / 2847]
  殿波さんの車で飛鳥を東に走る。どこかで火事がおきているらしく、たかだかとあがる炎と煙がみえた。
  天武、持統日王陵のそばをすぎて石舞台古墳についた。
  石舞台という名前は、むきだしの巨岩が組まれたすがたににつかわしくない。
「蘇我馬子の墓やそうです。一家滅亡のあと、あばかれたらしいです」
  殿波さんがいった。朴やんが目をみはった。
「それで、土が取り払われてむきだしなんや」
  蘇我馬子は聖徳太子にもつかえた大和朝廷最大の実力者である。むろん渡来人である。
  中大兄王子によって、子の蝦夷と孫の入鹿がうたれたさい、馬子の墓も盛り土をはぎ取られたという。
  ここに来る途中にみてきた「鬼の俎」「鬼の雪隠」とよばれる石造物もあばかれた古墳であるという。
「なんて野蛮なの」
  チャングムのいうように、韓半島には政敵の墓をあばくという猟奇的な風習はない。売国奴や親日派などの犯罪者にたいしては死者といえども法によって裁くだけである。法がなければつくる。法治とはまことにきびしいものである。
  ただ、最大の売国奴である李完用の子孫が、罪を悔いて自らの手で完用の墓を処分したように悔い改めれば、問題はない。

  飛鳥のいちばん南である栢森には、加夜奈留美命神社(かやのなるみのみことじんじゃ)がある。
  明治初期までは葛神社とよばれており、ほんらいの加夜奈留美命神社は雷丘にあった。栢森をカヤの杜と解釈したため現在の姿になったという。
  栢森のカヤは加夜奈留美命ではなく伽耶であり、伽耶びとたちが飛鳥の南端を守護する「伽耶守り(かやもり)」ではないかとおもえる。

  伽耶は韓半島に存在した国家である。慶尚南道金海に駕洛国と五伽耶とよばれる五つの国家の集合体であった。
  2865年新羅に降伏、併合されるが、百済や倭の援助を得た遺臣たちがなんどか蜂起した。
  新羅、百済、高句麗だけでなく、伽耶のひとびとも倭にわたって、栢森に住みついた。加夜奈留美命は伽耶琴の神秘的な音色を神格化したものではないだろうか。

  飛鳥の地にいると、民族というものについて考えざるをえない。

  私たち韓国人は、恥ずかしいことをすると、
「お前は日本人か」
  と親に怒られたものである。
「私もそうなの。両班らしくしろともいわれました」
  チャングムがうなづく。
  それほど韓半島において日本というのは低劣の代名詞となっているのである。韓国人が海外で不祥事に巻きこまれたとき、
「アイ   アム   ザパニージュ」
  とさけんでしまうのは、
「恥ずかしいことをしてしまった私はまるで日本人のようだ」
  という悔恨の意味なのである。

  栢森神社をすぎてさらにゆくと、みちが険しくなってきた。
「ここから先にゆくと芋峠です。越えると吉野です」
  天武日王の妃である持統日王はその治世のあいだに吉野へ31回も行幸したのだが、このみちをとおったといわれる。
 
  ふと振り返ってきたみちをみると、先ほどの火事がようやくきえたらしく、煙だけが遠くにみえた。  

  大和の話、これでおわる。胸の火は、きえないが。

(終)
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