朝鮮を笑う

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街道を逝く 大和のみち⑭

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/12/22 13:18 投稿番号: [750 / 2847]
  白村江の戦いほどみじめな敗戦は世界史上に類がない。

  韓半島では、新羅が唐のたすけを得て百済をほろぼした。
  倭は賓師として仕えていた百済の王族である余豊璋を奉じて、百済復興を大義名分として韓半島に侵攻した。
  指揮官は水軍をつかさどる阿倍比羅夫であり、総兵力は5万にもおよんだという。旧百済領から新羅軍を駆逐するなど当初戦況は優勢に進んだ。
  これにたいして、新羅軍はいったん退いて白村江の海上で倭軍を待ちうける作戦に切りかえた。

  倭軍は、軍船を三手に分けておしよせた。しかし、櫓をいくら漕いでも船は進まず矢の雨を浴びるばかりである。
「倭人は海のことをなにも知らない」
  新羅軍は嘲笑したにちがいない。潮目がぎゃくなら、いくら漕いでも徒労である。後世この潮の干満を利用した戦術を模倣した源義経に渡来人説があるゆえんである。
  やがて潮目がかわった。それまでのうっぷんをはらすように倭軍の船は進んでゆく。新羅軍の隊列は割れ、中央突破が成功したかにみえた。
  が、すべて新羅軍の佯北であった。倭軍はたくみに包囲されていたのである。
  火矢が放たれ、倭軍の軍船はたちまち炎につつまれた。戦場離脱をはかる船も挟撃を受け波間に消えてゆく。
  この惨憺たるようすを陸からみていた余豊璋はことばさえうしなっただろう。古来これほどあっけない敗戦はあったか。

  倭軍はことごとく新羅軍の捕虜となった。だれもが死を覚悟した。
  じぶんたちが捕虜にたいしておこなうふるまいを考えれば、なにが待っているのかは容易に想像できただろう。耳そぎや鼻そぎならともかく、肉団子にされたり鍋の具にされることもじゅうぶんありえた。
  意外にも、新羅軍の総帥である金ユ信(ユは文字化けするためカタカナ表記)は、かれらをすべて釈放した。しかも百済の遺臣や遺民を連れての帰国もゆるした。
  倭兵らは金の温情にふかく感謝した。阿倍比羅夫にいたっては、ひたいが割れて血がにじむまで三跪九叩頭をくりかえした。
  金にしてみれば、内心はずかしかったことだろう。
(ややこしい連中は追っぱらってしまえ)
  というのが、新羅王である金春秋からうけていた命令である。
  新羅に服せず百済の再興をはかるような連中や、倭に雷同するような連中がいてもらっては、これからの統治に難渋する、体よく放逐せよというのが王の真意であった。
  倭軍のなかにいた大海人王子が一連の交渉に関与したことが、この寛大な処置の一因であるという説もある。新羅の血をひくかれなら大いにありえるはなしである。
  また一説には、大海人王子が唐の司令官蘇定方に賄賂をおくり放免を画策したという。のちに唐使劉徳高が捕虜送還のため日本にいったのは、賄賂の残金を受けとるためであり、それによって白村江からの撤退の真相を知った天智日王は大海人王子をなじり、ぎゃくに暗殺されたという。

  事情はともかく、新羅の配慮によって倭国は危機をまぬがれたことはまちがいない。
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