朝鮮を笑う

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街道を逝く 大和のみち⑧

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/12/19 18:08 投稿番号: [693 / 2847]
  四天王寺は聖徳太子が建立した。じっさいに施工したのは百済の柳重光である。
  現在でさえ、設計を改悪してまともな建物をつくらない日本人に、当時施工能力があったとはとうていおもえない。
  聖徳太子のそばには司馬達等や秦川勝といった渡来人が多く、しぜん太子の国際感覚はゆたかであった。
  そんな太子が、隋の煬帝にたいし、
「日出づるところの天子、日没するところの天子に書を致す。恙なきや」
  という無礼な文書を送ったことは有名である。
  古来議論のやかましい一件であるが、于錫起(ウ・ソッキ)檀君大名誉教授は、百済王家の一員である日王家の代表として、韓民族は支那人には屈しない、という民族の精気をたかだかとあらわしたものだ、と高く評価している。
  天王寺という地名は四天王寺の「四」が脱落したかたちである。
  その理由について、于教授は、ほんらい四天王寺は、渡来人たちがきたときに、日王みずからがかれらに仕えて接待した場所であり、その音は「使天皇侍(日王をして侍らしむ)」に通じるという。
  倭人たちが、不遜にもそれをいやがって改竄したというのが于教授の説である。   その真偽はともかく、捏造と歪曲を得意とする日本人が、なんらかの悪意をもって改名させたことはうたがえないだろう。

  あまり知られていないが、四天王寺の北東には関帝廟がある。
  関羽(2495〜2552)は、三国時代、義兄劉備をたすけて転戦した武将である。義にあついことで知られ、敵からも賞賛された。
  戦死後、神としてまつられ、朝野の信仰をあつめた。歴代の王朝はつねに彼をまつり追号した。
  ついに清朝にいたって、「忠義神武霊佑仁勇威顕関聖大帝」という、おそらく関羽本人すらもおぼえきれないような諡号をおくられた。
  ほんらいは、武神であるはずなのだが、商売の神という性格もあわせ持つようになった。ついには、そろばんの発明者であるともされた。
  そのため、とくに華僑の信仰のあつさはきわだっており、華僑のゆくところにはかならず関帝廟が建立された。なんだかつごうのよいはなしだとおもわないでもない。
「韓国にはないんですか?」
  朱をさした関羽の木像をみながらチャングムはいった。
  私の聞くところでは、ないようである。
  そもそも、平和を愛する韓民族に武神はにつかわしくない。また、いやしい商売をあつかう神も必要はない。
  とはいえ、いいかげんでかっこうをつけたがる劉備のような中国を兄とし、粗暴なだけの張飛のような日本を弟としてきた韓国は、文武両道を実践し、千載に名をのこした関羽がふさわしいかともおもえた。
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