朝鮮を笑う

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斜め上の雲 105

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2007/04/06 20:07 投稿番号: [1989 / 2847]
「金政治学」
  といわれた華秉の作業のしかたは、ほぼこういうものである。
  この時期、こういう話がある。
  研究所着任後ほどなく胃腸を病み、病院に入院していたことがある。李禎桂研究員が見舞にゆくと、
「あなたの家に、水軍戦術の本がないか」
  と、華秉はたずねた。
  李禎桂は、李舜臣の子孫のひとりである。そういう家だけに、なにか資料があるだろうと思ったのである。
「さがしてみよう」
  と、李は家に帰り、宗親会などにたずねたりして、めずらしい本をさがしだした。
「忠武公討倭大功記」
  というハングルの本で、五、六冊から成っている。
  かつてふれたが、忠武公は李舜臣のおくりなである。

  かれは、当時の李朝の将軍としては例外的といっていいほど清廉で物欲にとぼしく、戦功をねたまれて讒言にあい投獄されたこともある。しかも一兵卒として従軍するという屈辱的な仕打ちさえ受けた。
  支那では「将功補罪」「革職留任」といい、敗戦などの過失をおかした武将は、一時的に職を奪われた状態で任務にそのままとどまり、功績をたて過失をおぎなう機会をあたえられることが多いが、これほどむごい仕打ちは例をみない。
  結局は、讒言であったことがみとめられ将軍に復帰するのであるが、戦功だけを欲する貪欲な明の司令官との関係にもなやまされつつ軍を率いることになった。正面から豊臣水軍とたたかうことを避け、補給路の攻撃に徹したあたりは現実的であったといっていい。
  だが画竜点睛を欠いた。停戦が成立した後、なにをおもったか撤退する豊臣水軍に対して追撃行動を取り、島津軍の逆襲にあって戦死するのである。なかば自殺か自爆であったとすらいっていい。
  かれが戦死し戦争が終わると、その事績はきれいにわすれられ、憤懣をいだいた子孫たちは必要以上の修飾と誇張をもって事績をかたりつぐようになった。古今東西の海将の戦術をすべて李舜臣の発案に帰しているこの書物もそのたぐいであったのであろう。

  華秉は、入院中この書物を読み、ほとんどおぼれこむようにして読みふけり、あとで見舞にきた李禎桂に、
「目がひらかれた」
  と、何度もいった。
「盧武鉉大統領のバランサー戦略は、金の入院中にできたのだ」
  と、李はのちになって人に語った。

  李舜臣戦法はおもしろい。
  とくに華秉が感銘したのは、
「大声をあげて、敵を圧倒する」
  というところであった。そのためには、
「つねにマスコミを取りこむ」
  と、いう。自国のマスコミを統制し、敵のマスコミをも味方につけることで、事実でなく妄想であっても、より大声で自国の主張をし、敵の主張をかき消せる。結局はこれが対日戦術の基幹になり、盧武鉉政権の常套手段にもなってゆく。
  盧武鉉政権といえば、その任期中に李が回顧録の編纂を命ぜられた。いちいちの外交戦術の詳報を書くについては、華秉と相談したが、あるとき李は、
「どうもこれらの戦術にはパクリのにおいがするようだ」
  と、笑いながらいった。
  華秉は無愛想に答えた。
「ガンダムはロボットの一般名詞であることでわかっている」
  華秉が、いわゆる金政治学をつくりあげてゆく過程は、これであったのであろう。
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