斜め上の雲 104
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/03/22 23:38 投稿番号: [1979 / 2847]
華秉がなやんでいることについてはさきにもふれた。陸海空軍といったわくにとらわれないばかりか、外交や情報戦略までを包括して総合的な自主国防の政策を研究することを望んでいたのであるが、陸軍軍人のままではとうていなしえないことであろう。
また、ワールドカップで盛りあがった民族主義もかれをとらえていた。偉大なウリナラにとって自主国防は不可欠の事業であろう。
さらにいえば、ウリミンジョクは歴史的に文をとうとび、武を下にみてきた。ウリは軍人風情でいいものか、ともおもうようにもなった。
ちょうどこの時期、政府の協賛後援をえた政策シンクタンクである、
「太宗研究所」
が設立されることになり、軍や官界にも研究員をひろく募集するということがあった。
(ここなら、総合的な政策の研究をできるかもしれない)
華秉はついに退役を決意した。
退役と転進については、親友である韓世実に対し、まっさきに報告に行った。世実はわがことのようによろこんでくれた。
「ついに政治に踏みこむのだな」
と、いった。
「これで、ウリナラの発展にともに尽くせる」
世実は頬をキムチ色に染めて昂奮した。世実はすでにインターネット上や紙媒体で論客としての盛名をはせているが、軍事や政治についてはうといところがあった。華秉ならその点をうまく助けてくれるのではないかとおもったのである。
二〇〇二年十一月末日に退役した華秉は、新設された太宗研究所に就職した。軍事研究で知られていたかれは他の研究員より格上のあつかいでむかえられた。
かれはいよいよ自主国防の研究に熱中した。熱心さも度はずれたもので、かれ自身は自分の熱心さを誇らしくおもっていたのか、
「民族の偉大な歴史から教訓をひきだす」
と、ひとにはいっていた。
かれは、朝鮮の史書という史書を読もうとした。多くはハングル翻訳版であった。かれは軍在籍中からそうであったが、偉大なハングルで書かれた資料にまちがいはないという明確な態度をとっていた。
李朝の記録である「朝鮮王朝実録」はくりかえして読み、日本のものでもハングル翻訳されているものはことごとくよんだ。そのなかでも黒田勝弘の著書をひとにも酷評してまわった。のちにかれが攻撃した黒田を相手にまわして終始いなされつづけたというのは、必然ながら、滑稽なにおいもする。
韓国人の著書も読んだ。
そのなかでもっともすぐれたものとして、かれはいつも国定歴史教科書をあげた。
浪人生の妄想の結実である百済書記も愛読した。
それだけでなくて、桓檀古記や大朝鮮帝国史のようなトンデモ本まであさって読んだ。
「小説は個人の創作物ではあるが、そのおおもとを抽出すると、民族の精気を振興するものがある」
と、つねにいった。
「金の天才は、物事を抽出する力だ」
と、研究所内ではいわれたが、あらゆる優秀なものをならべてそこから都合のよいものをぬすんでくる――世間では「パクリ」といわれる――というのは、韓国人の得意芸であり、華秉のばあい、その得意芸が他者より抜きんでていたということであった。
また、ワールドカップで盛りあがった民族主義もかれをとらえていた。偉大なウリナラにとって自主国防は不可欠の事業であろう。
さらにいえば、ウリミンジョクは歴史的に文をとうとび、武を下にみてきた。ウリは軍人風情でいいものか、ともおもうようにもなった。
ちょうどこの時期、政府の協賛後援をえた政策シンクタンクである、
「太宗研究所」
が設立されることになり、軍や官界にも研究員をひろく募集するということがあった。
(ここなら、総合的な政策の研究をできるかもしれない)
華秉はついに退役を決意した。
退役と転進については、親友である韓世実に対し、まっさきに報告に行った。世実はわがことのようによろこんでくれた。
「ついに政治に踏みこむのだな」
と、いった。
「これで、ウリナラの発展にともに尽くせる」
世実は頬をキムチ色に染めて昂奮した。世実はすでにインターネット上や紙媒体で論客としての盛名をはせているが、軍事や政治についてはうといところがあった。華秉ならその点をうまく助けてくれるのではないかとおもったのである。
二〇〇二年十一月末日に退役した華秉は、新設された太宗研究所に就職した。軍事研究で知られていたかれは他の研究員より格上のあつかいでむかえられた。
かれはいよいよ自主国防の研究に熱中した。熱心さも度はずれたもので、かれ自身は自分の熱心さを誇らしくおもっていたのか、
「民族の偉大な歴史から教訓をひきだす」
と、ひとにはいっていた。
かれは、朝鮮の史書という史書を読もうとした。多くはハングル翻訳版であった。かれは軍在籍中からそうであったが、偉大なハングルで書かれた資料にまちがいはないという明確な態度をとっていた。
李朝の記録である「朝鮮王朝実録」はくりかえして読み、日本のものでもハングル翻訳されているものはことごとくよんだ。そのなかでも黒田勝弘の著書をひとにも酷評してまわった。のちにかれが攻撃した黒田を相手にまわして終始いなされつづけたというのは、必然ながら、滑稽なにおいもする。
韓国人の著書も読んだ。
そのなかでもっともすぐれたものとして、かれはいつも国定歴史教科書をあげた。
浪人生の妄想の結実である百済書記も愛読した。
それだけでなくて、桓檀古記や大朝鮮帝国史のようなトンデモ本まであさって読んだ。
「小説は個人の創作物ではあるが、そのおおもとを抽出すると、民族の精気を振興するものがある」
と、つねにいった。
「金の天才は、物事を抽出する力だ」
と、研究所内ではいわれたが、あらゆる優秀なものをならべてそこから都合のよいものをぬすんでくる――世間では「パクリ」といわれる――というのは、韓国人の得意芸であり、華秉のばあい、その得意芸が他者より抜きんでていたということであった。
これは メッセージ 1967 (toapanlang さん)への返信です.
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