解説:斜め上の雲 86
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/10/05 00:13 投稿番号: [1816 / 2847]
風水説自体の存在は事実ですし、それがある程度支那・朝鮮では信じられていたのも事実です。
実際、秦の始皇帝は金陵(現在の南京)に王の気があるのをにくんで、丘を分断し秣陵とあらためさせました。
ただそれだけの話なんですがね。ほんとに風水の点で完璧に計算された首都が築かれていたなら、支那の諸王朝は滅びることはなかったはずでしょうね。
>風水思想においては、地下に気の流れる地脈というものがあり、これをたつことで、その土地の運気を悪くして英傑が出現しないようにすることができるという。
高麗の開祖王建の遺言では、ライバルであった後百済の領土全羅道の地勢はことごとく風水で理想とされている地勢の裏返しになっているため、人心も逆心が多い。官に登用すれば謀反を起こすであろうから、決して登用するな、といったそうですね。
これに基づく地域差別は、はるか後世の東学党の乱や光州事件まで尾を引いているという指摘もあります。
仁王山については、錫元の陸士入試でネタに使い、解説でも触れました。
これは メッセージ 1807 (toapanlang さん)への返信です.
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