斜め上の雲 44
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/06/18 19:58 投稿番号: [1570 / 2847]
国民防衛隊員の状況の点描、つづける。
国民防衛隊金海教育隊に配属された林快童の叙述を抄録してみる。
かれが入隊して支給されたのは、軍服でもなく兵器でもなく、一枚のかます――藁むしろを二つ折りにしてつくった袋――であった。それも二人に一枚であった。
「それで寝ろ」
小隊長はそういった。召集されたのは十二月というから真冬である。とても寒さをしのげるものではない。
さらに、小隊長は戦闘訓練や軍人としての心得はいっさい教えなかった。ただ近くの村にいって食事を乞う要領だけを教えた。食事は自給しろ、ということであった。
食事が支給されないばかりか、入浴の機会も施設もあたえられなかった。しぜん、防衛隊員は悪臭を発するようになり、村民たちはかれらを「乞食隊」とよび、その悪臭で接近を知ると、食料を隠して避けるようになった。
隊員たちも食料の調達に必死であった。村内の情報を集め、豪勢な食事が用意される冠婚葬祭等の行事をねらって出現するようになった。
ある家の主人が還暦をむかえたため祝宴をはるときいた隊員五十人は、その現場を急襲した。祝宴の参加者たちは隊員たちの悪臭にむせてへどを吐きながら退散し、隊員は祝膳をたいらげた。
ところが、その夜かれらのうち四人が急死したのである。飢えきった体に急に食事を詰めこんだため腸が破裂したのであった。
防衛隊幹部による着服の手口は、支那で二千年間にわたってみがかれてきた手練手管の引き写しであったといっていい。
まず、予算の策定基礎となる防衛隊人員を水増しして算出し陸軍本部に請求した。あまりにも不自然なその数字に不信感を抱き、隊員数の承認を拒んだ防衛局人事処長は就任一ヶ月で左遷された。
そうして水増し支給された予算のうち、まず三分の二が高級幹部の懐に入り、残った予算も幹部の手を経るにつれつぎつぎと削りとられてゆき、最終的に隊員たちの手には一銭もわたらなかった。隊員たちは軍靴も軍服も売りはらって食費を調達するはめになった。売るものが尽きると、ついには前述のように食を乞うことになった。
着服の中心人物は、金潤根司令官ではなく副司令官の尹益憲大佐であり、かれがすべての経理書類を決裁していた。また、公金を着服した幹部は、あるいは金融業をいとなみ各地に妾宅をもうけ、あるいは大邱郊外にアメ工場を建設して隊員に支給するはずの米でアメをつくって売っていた。
むろん、しかるべき筋へのつけとどけも忘れてはいない。申性模国防部長官をはじめ官界の要人に金銭をばらまいて口止めをはかった。申長官もじぶんの政治勢力を扶植するための資金として軍幹部や国家議員にばらまいたという。
司令官である金潤根准将は、横領した金を貯蓄せず、もっぱら大邱の料亭での飲み食いにあてていた。青年団の相撲選手出身のかれは「相撲将軍」を自称する肥満体であり、その飲食量はすさまじかった。
かれらが着服した金額は75億ウォンにもおよぶという。
もっとも、これらの事実が判明したのはかなり後のことであった。
国民防衛隊金海教育隊に配属された林快童の叙述を抄録してみる。
かれが入隊して支給されたのは、軍服でもなく兵器でもなく、一枚のかます――藁むしろを二つ折りにしてつくった袋――であった。それも二人に一枚であった。
「それで寝ろ」
小隊長はそういった。召集されたのは十二月というから真冬である。とても寒さをしのげるものではない。
さらに、小隊長は戦闘訓練や軍人としての心得はいっさい教えなかった。ただ近くの村にいって食事を乞う要領だけを教えた。食事は自給しろ、ということであった。
食事が支給されないばかりか、入浴の機会も施設もあたえられなかった。しぜん、防衛隊員は悪臭を発するようになり、村民たちはかれらを「乞食隊」とよび、その悪臭で接近を知ると、食料を隠して避けるようになった。
隊員たちも食料の調達に必死であった。村内の情報を集め、豪勢な食事が用意される冠婚葬祭等の行事をねらって出現するようになった。
ある家の主人が還暦をむかえたため祝宴をはるときいた隊員五十人は、その現場を急襲した。祝宴の参加者たちは隊員たちの悪臭にむせてへどを吐きながら退散し、隊員は祝膳をたいらげた。
ところが、その夜かれらのうち四人が急死したのである。飢えきった体に急に食事を詰めこんだため腸が破裂したのであった。
防衛隊幹部による着服の手口は、支那で二千年間にわたってみがかれてきた手練手管の引き写しであったといっていい。
まず、予算の策定基礎となる防衛隊人員を水増しして算出し陸軍本部に請求した。あまりにも不自然なその数字に不信感を抱き、隊員数の承認を拒んだ防衛局人事処長は就任一ヶ月で左遷された。
そうして水増し支給された予算のうち、まず三分の二が高級幹部の懐に入り、残った予算も幹部の手を経るにつれつぎつぎと削りとられてゆき、最終的に隊員たちの手には一銭もわたらなかった。隊員たちは軍靴も軍服も売りはらって食費を調達するはめになった。売るものが尽きると、ついには前述のように食を乞うことになった。
着服の中心人物は、金潤根司令官ではなく副司令官の尹益憲大佐であり、かれがすべての経理書類を決裁していた。また、公金を着服した幹部は、あるいは金融業をいとなみ各地に妾宅をもうけ、あるいは大邱郊外にアメ工場を建設して隊員に支給するはずの米でアメをつくって売っていた。
むろん、しかるべき筋へのつけとどけも忘れてはいない。申性模国防部長官をはじめ官界の要人に金銭をばらまいて口止めをはかった。申長官もじぶんの政治勢力を扶植するための資金として軍幹部や国家議員にばらまいたという。
司令官である金潤根准将は、横領した金を貯蓄せず、もっぱら大邱の料亭での飲み食いにあてていた。青年団の相撲選手出身のかれは「相撲将軍」を自称する肥満体であり、その飲食量はすさまじかった。
かれらが着服した金額は75億ウォンにもおよぶという。
もっとも、これらの事実が判明したのはかなり後のことであった。
これは メッセージ 1567 (toapanlang さん)への返信です.
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