朝鮮を笑う

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斜め上の雲 39

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/06/06 09:52 投稿番号: [1537 / 2847]
  朴正煕少将によるクーデターが起こったとき、錫元は軍にいない。
  母親の葬儀をおこなうため金村に帰郷していたのである。
  錫元をふくめ三人の男子と一人の女子をうんだ母の孟瓔玉は朝鮮戦争中の苦労がたたって病床に臥せる日が多くなっていたが、六一年五月十五日に永眠した。
  危篤の知らせを受けた錫元は休暇をとり金村の自宅に戻って最期を看取っていたのだが、クーデターの発生は十六日未明であったため、情勢がわからず身動きが取れなかった。しかたなく、葬儀一式をとりおこなったうえで、尹大統領の戒厳令承認と軍事革命委員会への支持声明をきいてからようやく復帰した。

  尹大統領の支持をとりつけた朴は、反共体制の強化、アメリカなど自由主義諸国との連携強化、腐敗と旧悪の一掃、飢餓の解消と自立経済の確立、統一のための実力培養を公約にあげ、それらを成就したのちにはすみやかに民政に移管するとし、立法、行政、司法の三権を掌握する国家再建最高会議を設置、その議長に就任して国政改革に着手した。また、金鐘泌を部長として韓国中央情報部(KCIA)を新設した。
  朴は軍人らしく戦略目標をしぼり、そこに全力を集中した。経済開発による国家再建、発展がそれである。
  李承晩はアメリカから膨大な援助物資を導入することに成功しながら、無能と腐敗のためにいたずらに浪費したにとどまった。朴はその轍をふまないよう、経済企画院を新設し、計画的な経済開発をめざした。
  手本としたのは、かつて岸信介ら日本の革新官僚がすすめた満洲国の経済開発計画であった。

  朴は、大統領選挙を実施し民政に移管するという公約どおり、六三年十月に大統領選挙を実施すると発表した。
  そして、腹心の金鐘泌情報部長に、民政に対応できる政党の育成を命じて民主共和党をつくらせた。その過程で政権内部に内紛が生じたが、それに関与した造反者を片っぱしから軍法会議にかけた。
  かれらには死刑など重罪判決をくだしたものの、ほどなくアメリカに出国させた。アメリカの介入があったというが、対立者をことごとく死刑にした金日成とは対照的である。
  朴は八月に退役し、民主共和党代表として大統領選に立候補した。選挙は尹(シ普)善との一騎打ちとなり、軍事政権を嫌うケネディ政権の干渉があったものの、朴は四百七十万票を獲得、十五万六千票の僅差であったが当選した。
  これにより朴正煕大統領による開発独裁の時代がはじまる。
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