斜め上の雲 38
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/06/04 20:57 投稿番号: [1533 / 2847]
金鐘泌中佐らによる整軍運動は白善菀らを追い落したのち、頭領として陸軍本部作戦参謀部長に就任した朴正煕少将を推戴した。
しかし、整軍運動は軍の統制を乱すものとしたアメリカの圧力によりメンバーは予備役に編入され、朴は左遷されたうえ六一年秋の退役リストに載せられた。
だが、張勉内閣の無能にあいそをつかした朴や金らはクーデターを模索するようになり、エジプトで五二年におこったナセル中佐らのクーデターを手本として極秘に研究しはじめた。
とはいえ、その動きは世間のうわさとなっていた。六一年四月十九日に予定されていたクーデターは延期となったが、その日程ばかりか、首謀者が朴少将であることすら公然とかたられていたという。
さすがに張勉総理も不安になり、参謀総長の張都暎中将をよび、
「軍部によるクーデターの計画があるという話をきいた。参謀総長は知っているか」
と、じきじきに問いただした。
「いいえ。そのようなものはいっさいございません」
参謀総長は言下に否定した。
じつをいえば、かれはクーデター計画があるらしいことは知っていた。だが、かつてアカとして粛清された前歴がある朴正煕には政権が取れるわけがない、とたかをくくってもいた。
朴も張総理も単独では相手を制することはできそうもなく、参謀総長がどちらにつくかで決着がつくだろう。
(せいぜい高く売りつけてやろう)
かんたんに旗幟を闡明にすることもあるまい。かれは内心ほくそえみながら退出した。
張勉がうたがっていることを知った朴正煕は、五月十六日未明、クーデターを決行した。
兵力は空挺団と海兵旅団の三千五百人だけであった。たのみとしていた第三十師団は、事前に動員計画がもれたため動けなかった。
クーデター部隊は漢江をわたって陸軍本部と放送局を制圧した。閣僚が次々と逮捕されるなかで、半島ホテルに宿泊していた張勉総理は逮捕直前に脱出、地下にもぐった。
クーデター部隊はたかだか四千人足らずである。尹大統領が在韓米軍に要請すれば簡単に鎮圧できる。
げんにアメリカはクーデター直後に米軍放送を通じて張勉総理とその合法政権を支持する旨を再三発表し、マーシャル・グリーン駐韓代理公使とマグルーダ第八軍司令官は鎮圧要請を出すよう尹大統領に強く迫った。
「国軍同士が戦えば、そのすきに北が南侵してくる」
と、尹はいい、ついに承諾しなかった。
いっぽう朴は、洞ヶ峠を決めこんでいるかたちの張都暎参謀総長に親書をおくった。陸軍全体の支持を得るためだけでなく、米軍に受けがよいかれを取りこまないとアメリカにたいして話ができない。
「わしを指導者に推すというのか」
親書を読んだ張は満足そうに笑い、クーデターを支持する声明を出した。これにより陸軍全体がクーデター支持に回ったことになる。張は軍事革命委員会議長に就任した。
もっともその最期はよくない。わずか五十数日後、朴がマグルーダ第八軍司令官と会談してアメリカの支持を取りつけた後、用済みとなった張は反革命容疑で逮捕され軍法会議で死刑判決を受けたのち、一年後に釈放されて渡米した。
みごとに煮られた走狗であるといえる。
しかし、整軍運動は軍の統制を乱すものとしたアメリカの圧力によりメンバーは予備役に編入され、朴は左遷されたうえ六一年秋の退役リストに載せられた。
だが、張勉内閣の無能にあいそをつかした朴や金らはクーデターを模索するようになり、エジプトで五二年におこったナセル中佐らのクーデターを手本として極秘に研究しはじめた。
とはいえ、その動きは世間のうわさとなっていた。六一年四月十九日に予定されていたクーデターは延期となったが、その日程ばかりか、首謀者が朴少将であることすら公然とかたられていたという。
さすがに張勉総理も不安になり、参謀総長の張都暎中将をよび、
「軍部によるクーデターの計画があるという話をきいた。参謀総長は知っているか」
と、じきじきに問いただした。
「いいえ。そのようなものはいっさいございません」
参謀総長は言下に否定した。
じつをいえば、かれはクーデター計画があるらしいことは知っていた。だが、かつてアカとして粛清された前歴がある朴正煕には政権が取れるわけがない、とたかをくくってもいた。
朴も張総理も単独では相手を制することはできそうもなく、参謀総長がどちらにつくかで決着がつくだろう。
(せいぜい高く売りつけてやろう)
かんたんに旗幟を闡明にすることもあるまい。かれは内心ほくそえみながら退出した。
張勉がうたがっていることを知った朴正煕は、五月十六日未明、クーデターを決行した。
兵力は空挺団と海兵旅団の三千五百人だけであった。たのみとしていた第三十師団は、事前に動員計画がもれたため動けなかった。
クーデター部隊は漢江をわたって陸軍本部と放送局を制圧した。閣僚が次々と逮捕されるなかで、半島ホテルに宿泊していた張勉総理は逮捕直前に脱出、地下にもぐった。
クーデター部隊はたかだか四千人足らずである。尹大統領が在韓米軍に要請すれば簡単に鎮圧できる。
げんにアメリカはクーデター直後に米軍放送を通じて張勉総理とその合法政権を支持する旨を再三発表し、マーシャル・グリーン駐韓代理公使とマグルーダ第八軍司令官は鎮圧要請を出すよう尹大統領に強く迫った。
「国軍同士が戦えば、そのすきに北が南侵してくる」
と、尹はいい、ついに承諾しなかった。
いっぽう朴は、洞ヶ峠を決めこんでいるかたちの張都暎参謀総長に親書をおくった。陸軍全体の支持を得るためだけでなく、米軍に受けがよいかれを取りこまないとアメリカにたいして話ができない。
「わしを指導者に推すというのか」
親書を読んだ張は満足そうに笑い、クーデターを支持する声明を出した。これにより陸軍全体がクーデター支持に回ったことになる。張は軍事革命委員会議長に就任した。
もっともその最期はよくない。わずか五十数日後、朴がマグルーダ第八軍司令官と会談してアメリカの支持を取りつけた後、用済みとなった張は反革命容疑で逮捕され軍法会議で死刑判決を受けたのち、一年後に釈放されて渡米した。
みごとに煮られた走狗であるといえる。
これは メッセージ 1524 (toapanlang さん)への返信です.
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