朝鮮を笑う

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斜め上の雲 37

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/06/01 22:32 投稿番号: [1524 / 2847]
  李承晩時代の後期には、韓国軍にとって昇進人事が頭のいたい問題となった。
  朝鮮戦争中はたれもが短期間で昇進した。戦時中のため、連隊や師団といった大きい単位をひきいる高位の幹部を大量に必要としたからである。それにより二十代の佐官どころか将官もめずらしくはなかった。
  それが戦後になると急に昇進がとまった。佐官も将官も若く同年代の者も多いため、昇進しようがないのである。
  それに対する不満と、政府に阿る軍首脳への反感とがあいまって中堅将校たちはついに軍内部の権力闘争を開始した。目的は高級将官の追放による軍部の浄化である。
  高級将官が若いせいで出世できないという私憤と、軍部の腐敗に対する公憤がむすびついたこの動きを清軍あるいは整軍という。その先鋒は金鐘泌中佐らである。
  この運動の結果、多くの高級将官が退役に追いこまれた。白善菀参謀総長も標的になった。

  四月二十六日、李承晩が下野を声明し許政が大統領代行となったことは先にふれた。
  新内閣の国防長官は、五二年の大統領選挙にさいして李承晩に大統領支持声明を出すよう迫られ拒否したため、参謀総長の職を更迭された李鐘賛である。
  金鐘泌らはこの機会をとらえて、旧支配勢力の一掃と人心の一新をもとめていた李鐘賛に白善菀の退役をもとめるようはたらきかけた。
  李は乗った。
  李の勧告を受けた白は、五月三十一日、おなじく重鎮である劉戴興中将とともに除隊した。

  時をおかずに錫元は戦史研究室に転属された。白善菀に目をかけられていたため巻きぞえをくっての左遷であるという評判であった。
  半面、これはかれにとってさいわいであったともいえる。戦史を研究するという口実で学問をしながら給料がもらえるのである。
  その人事発令は六月一日付であったというが、韓国政府のずさんな文書管理によってこの時期の公文書の多くが散逸しているためよくわからない。いっぽうでは、本人への内示がすでに五月あたまにはおこなわれていたという証言もある。
  どうやら、かれがよけいなわざわいに巻きこまれることをおそれた白が計画し発令しようとしていた人事であるというのが真相であるらしい。

  暫定政権の管理実施した選挙の結果、六〇年八月十三日に尹フ(シ普)善が大統領に就任した。民主党の分裂による抗争がつづくなかでの妥協の産物であり、内閣の首班である張勉総理は、尹の属する旧派ではなく新派であったため、最初から内紛、抗争がつづき、年が明けても政情は安定しなかった。
  そればかりか、ソウル大学民族統一連盟が南北学生会談を提唱、北朝鮮の石山内務相が賛意を示すなど、銃火によらない統一攻勢すら盛んになってきた。
  両班出身の尹はなにひとつ有効な手をうたないまま新・旧派の権力闘争にうつつをぬかし、十ヶ月のあいだに張勉内閣を三回改造、参謀総長を四回も更迭した。

  このような尹政権の無策と迷走に危機感を持ち、ついに軍部はクーデターによる政治革新を考えはじめていた。
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