朝鮮を笑う

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斜め上の雲 33

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/05/21 00:53 投稿番号: [1500 / 2847]
  錫元が台北をおとずれたのは五九年の七月のことである。
  台北の夏は暑い。汗だくになりながら国府軍の兵舎についた錫元は、軍事顧問の林保源中将という人物をたずねた。
  錫元がけっしてうまいとはいえない北京官話であいさつすると、
「陸士二十七期の金錫源将軍と同名か。よい名前ですね」
  と林はいった。
「将軍をご存知なのですか」
  かつてふれたように錫元は金を「将軍(しょうぐん)」と日本語発音でよぶ。それをきいて、林は日本語に切りかえた。
「私は陸士二十三期です。りっぱな後輩を忘れてはなりません」
  といって笑った。林の本名は根本博といい、れっきとした日本人であり日本陸軍の中将であった。

  太平洋戦争の終戦後、国府軍は中共軍との内戦にやぶれて台湾に逃げこんだ。蒋介石は軍の立て直しのために日本軍人をまねくことをおもいついた。
  支那派遣軍の総司令官であり、がんらい蒋と親交のあった岡村寧次大将は、そのたのみにこたえて多くの陸軍軍人を送りこんだ。つい先日まで干戈をまじえていたというのにこのかわりようはどうであろう。まことに奇々怪々というしかない。
  軍事上の理由としては、物資が豊富で物量戦術をとれるアメリカ軍より貧乏所帯でなんとかやりくりしてきた日本軍のほうがじり貧の国府軍には手本になると考えたということがあるだろう。
  また蒋にしてみれば、国府軍内部で抜擢した人材が功績をたてて地位と声望を高めてしまえばじぶんの地位がおびやかされる。それによって軍が強くなっても国家が強くなっても、かれにとっては危険なのである。
  しかし、日本人ならいくら功績をたててもけっしてとってかわられる心配はない。安心して権力の保証となる軍事に関するしごとを任せることができる。
  かれの頭にはつねに権力への執着と私(わたくし)のみがあり国家や公(おおやけ)はなかった。
  しかしせんじつめてみれば、支那においては権力者とは大なり小なりそういうものであった。かれの不倶戴天の敵である毛沢東にも多分にそういった面がある。

  蒋は栄達のために若いころからずいぶんいい加減なことを重ねてもきた。異様に権力欲がつよく、義兄弟の契りをむすんでいた杜月笙を、太平洋戦争後、用済みとばかりにうらぎったこともある。杜は上海の青幇の親分であり、蒋は国民党内部でのしあがるために、かれの力と資金を利用していたのである。

  話がそれた。
  選ばれて台湾に密航した日本軍人たちは中国式の偽名を名乗り、初代団長富田直亮少将の偽名である白鴻亮にちなんで「白団」とよばれた。「紅い」中共に抗するという意味も含まれている。
  白団のメンバーはただの軍人ではなく、陸軍大学校の教官をつとめたものなど、教官としても一級といえる人材がえらばれていた。かれらの真摯な努力にふれた将兵たちはすすんで学ぼうとした。
  アメリカで軍事教育を受けた孫立人将軍は、敗戦国の軍人ふぜいが、と当初は軽侮していたが、その姿勢を一転して泥中に身を投じて匍匐前進訓練を率先しておこなうほど熱心な生徒のひとりとなった。
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