解説: 斜め上の雲 27
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/05/05 00:47 投稿番号: [1447 / 2847]
1巻、陸軍学校に入った好古が、夏休みで松山に帰省したときのことが元ネタです。
>錫元は坡州で汽車からおり、下士官服に似た士官学校の制服をきて町へ入ってきた。そういう錫元を最初に街角で見かけたのは、幼友達の文景福であった。
声をかけてきた幼友達は、原文では鴨川正幸ですが、こちらは筆者の義弟の父がモデルです。当然、名前は変えてありますが。
本物の義弟の父は、大型小売店の進出によって左前になりつつある雑貨食料品屋の店主です。以前はぼろ儲けをしていたのですが、気がよすぎて、親戚連中に乞われるままにお金を分けたりしたから・・・ま、気がよく、それでいて思慮の深くない明るい韓国人です。いい人なんですけど(フォローになってない)。60歳をすぎて日本語を勉強する気のいいおっちゃんです。
以下原文。
≫真之が十歳のとき、明治十年の夏、暑中休暇で好古は帰ってきたが前ぶれはしていない。
好古は三津浜で船からおり、下士官服に似た士官学校の制服をきて町へ入ってきた。そういう好古を最初に町角で見かけたのは、幼友達の鴨川正幸であった。
「そこへ行くは秋山の信さんじゃあるまいか」
鴨川は、松山弁でなまぬるくいったが、気持はひどくせきこんでいる。この鴨川正幸は好古と大阪の師範学校で一緒だったし、その後鴨川は松山に帰って教員伝習所で教べんをとっている。好古が士官学校に入ったことはきいていたから、
(この兵隊姿が、きっとそうじゃろ)
とおもいながら、声をかけたのである。好古はふりむいた。
やあ、鴨川か、と立ちどまった。鴨川はなつかしいよりも、好古が士官学校に入ったことがうらやましくてならず、
「士官学校ちゅうのは、やはり官費かな?」
とたしかめてから、
「あしも田舎で薄ぼんやりすごしていてもつまらんけん、士官学校ィでも入ろうと思うんじゃが、どんなもんじゃな」
鴨川にすれば、本気であった。士官学校に入ればフランス語が学べるという。かれの当時の語学というのは宝石のように稀少価値があり、語学を学べる場所など日本でもいくつもなかった。ところが好古は、
「やめえ、やめえ」
と、帽子の下から汗をながしながら手をふった。鴨川はおどろき、何(なん)してや、ときくと、
「何してて、あげなところ、なんぼか辛(つろ)うてたまらん」
と、好古は頭をふった。
まったくその言葉どおり、この好古の入った期の士官学校というのは辛い課業を生徒に課していた。まだ西南戦争はおわっておらず、陸軍当局としては生徒を在学中に戦地へやるもくろみでいたから、速成の士官教育を計画し、一年でやる学課や実技を半年で詰めこもうとするやりかたであり、この暑中休暇も規定でいえば夏に五週間ということであるのに、ことしは十日だけしかなかった。
「信さんでも、つらいかねや」
これには、鴨川もおどろいた。銭湯にやとわれて水汲み風呂たきをした好古の姿を鴨川は幼友達だっただけによく知っており、その好古がしんどがるようでは、
(あしはどうにもならんな)
とおもった。鴨川は師範学校の成績は好古よりよかったが、体には自信がない。それに好古の話をきくといまは戦時下でフランス語の勉強よりも実技ばかりをやらせるから鴨川が思っているような学校ではなさそうであった。
「ほなら、やめた」
鴨川は言い、好古とわかれた。好古は、こんな地獄のような学校は人にはすすめられんと本気でおもっていたし、「田舎で薄ぼんやりすごしていてもつまらんから士官学校へでも」というような鴨川にはとくにむりだとおもった。
>錫元は坡州で汽車からおり、下士官服に似た士官学校の制服をきて町へ入ってきた。そういう錫元を最初に街角で見かけたのは、幼友達の文景福であった。
声をかけてきた幼友達は、原文では鴨川正幸ですが、こちらは筆者の義弟の父がモデルです。当然、名前は変えてありますが。
本物の義弟の父は、大型小売店の進出によって左前になりつつある雑貨食料品屋の店主です。以前はぼろ儲けをしていたのですが、気がよすぎて、親戚連中に乞われるままにお金を分けたりしたから・・・ま、気がよく、それでいて思慮の深くない明るい韓国人です。いい人なんですけど(フォローになってない)。60歳をすぎて日本語を勉強する気のいいおっちゃんです。
以下原文。
≫真之が十歳のとき、明治十年の夏、暑中休暇で好古は帰ってきたが前ぶれはしていない。
好古は三津浜で船からおり、下士官服に似た士官学校の制服をきて町へ入ってきた。そういう好古を最初に町角で見かけたのは、幼友達の鴨川正幸であった。
「そこへ行くは秋山の信さんじゃあるまいか」
鴨川は、松山弁でなまぬるくいったが、気持はひどくせきこんでいる。この鴨川正幸は好古と大阪の師範学校で一緒だったし、その後鴨川は松山に帰って教員伝習所で教べんをとっている。好古が士官学校に入ったことはきいていたから、
(この兵隊姿が、きっとそうじゃろ)
とおもいながら、声をかけたのである。好古はふりむいた。
やあ、鴨川か、と立ちどまった。鴨川はなつかしいよりも、好古が士官学校に入ったことがうらやましくてならず、
「士官学校ちゅうのは、やはり官費かな?」
とたしかめてから、
「あしも田舎で薄ぼんやりすごしていてもつまらんけん、士官学校ィでも入ろうと思うんじゃが、どんなもんじゃな」
鴨川にすれば、本気であった。士官学校に入ればフランス語が学べるという。かれの当時の語学というのは宝石のように稀少価値があり、語学を学べる場所など日本でもいくつもなかった。ところが好古は、
「やめえ、やめえ」
と、帽子の下から汗をながしながら手をふった。鴨川はおどろき、何(なん)してや、ときくと、
「何してて、あげなところ、なんぼか辛(つろ)うてたまらん」
と、好古は頭をふった。
まったくその言葉どおり、この好古の入った期の士官学校というのは辛い課業を生徒に課していた。まだ西南戦争はおわっておらず、陸軍当局としては生徒を在学中に戦地へやるもくろみでいたから、速成の士官教育を計画し、一年でやる学課や実技を半年で詰めこもうとするやりかたであり、この暑中休暇も規定でいえば夏に五週間ということであるのに、ことしは十日だけしかなかった。
「信さんでも、つらいかねや」
これには、鴨川もおどろいた。銭湯にやとわれて水汲み風呂たきをした好古の姿を鴨川は幼友達だっただけによく知っており、その好古がしんどがるようでは、
(あしはどうにもならんな)
とおもった。鴨川は師範学校の成績は好古よりよかったが、体には自信がない。それに好古の話をきくといまは戦時下でフランス語の勉強よりも実技ばかりをやらせるから鴨川が思っているような学校ではなさそうであった。
「ほなら、やめた」
鴨川は言い、好古とわかれた。好古は、こんな地獄のような学校は人にはすすめられんと本気でおもっていたし、「田舎で薄ぼんやりすごしていてもつまらんから士官学校へでも」というような鴨川にはとくにむりだとおもった。
これは メッセージ 1446 (toapanlang さん)への返信です.
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