朝鮮を笑う

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斜め上の雲 25

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/04/24 12:45 投稿番号: [1395 / 2847]
  朝鮮戦争では韓国兵の弱さが露呈した。
  戦車が来た、ときいただけで逃げだすものもいたし、負けつづけてもへらへらと笑っている兵さえいた。金錫源や白善菀ら日本軍出身者の指揮官や下士官がきびしく統率していたためなんとかしのいできたといえる。
  中国軍の参戦後はとくにひどかった。中国軍のチャルメラを聞いただけで銃を捨てて逃げだすこともしばしばあった。
  ひとつには、訓練が未熟な状態で戦争に突入したことがあげられる。白善菀によれば、多くの部隊が中隊訓練をおえた程度であったという。また、再三ふれたが、装備、とくに火力が脆弱であったのも無視できない。
  長期戦にそなえて韓国軍の強化をはかるため、開戦から約1年後の51年5月に米軍と韓国陸軍本部は協議をおこない、各師団に新兵を補充し入れかわりで9週間の集中訓練をほどこすという計画をたてた。指導にあたるのは150人の米軍教官であった。これによって52年末までに全10個師団が訓練を受けた。
  また、新兵の訓練所が済州島にもうけられ、1日あたり1000人が入所して16週間の基本教練を受けた。
  戦況が小康状態であるとはいえ、いまだ戦中の52年1月に陸軍士官学校が正規4年制課程で開校したのもそういう事情のせいであった。そのため士官学校の教育はきびしく校内の空気は張りつめていた。

  鎮海はかつて日本海軍の基地があり、バルチック艦隊を迎え撃った東郷平八郎がここから連合艦隊をひきいて出撃した。さらには李舜臣も根拠地としたことがあり、軍事には縁がふかい土地である。
  学校が泰陵に移るまで1年弱のあいだ、錫元は余暇をみつけては土地の古老をたずね、おもに日本海軍の戦史について話をきいた。60歳以上のものなら日露戦争をじかに知っている時代である。たれもがよろこんで話してくれた。
  日本軍や満州軍の将兵として太平洋戦争に従軍した若者もいれば、日露戦争時、日本海海戦を見物した老人もいた。さらには一進会に参加して満州まで日本軍の線路を引く工事にたずさわった人もいた。
  そういった錫元の行動については、
「みょうなことをしているやつがいる」
  と、校内で話題になった。

  軍事と英語を習得することに重点が置かれていることは先にのべた。そんななかで、なにを好きこのんで日本の戦史、それも海軍のものを調べるのであろう、学生や教官たちはみなそうおもった。
  錫元にしてみれば、軍事に海も陸もなく、金錫源におそわったようにあらゆる知識にふれて吸収しようとしているだけであった。陸軍については金錫源から多くを学んだが、海軍については学べなかったということもあった。
  それに、韓国軍には朝鮮戦争をのぞいて戦史そのものがなく、日本軍のそれは量が多く簡単にふれることができたというだけの話でもあったであろう。

  なんにせよ、錫元としては、数学や語学が学べることで満足していたし、朝鮮戦争中に作戦の妙にふれたことで軍事学にも興味をもつようになっていた。
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