斜め上の雲 23
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/04/18 13:36 投稿番号: [1369 / 2847]
金錫源の陸軍首脳への働きかけによって、錫元の陸軍士官学校受験が認められた。
「そこまでやってもらっていいのでしょうか」
その親切に甘えっぱなしでいいものかどうか、錫元は身のちぢむ思いである。しかし金錫源は、
「わしにとってはただの雑務にすぎぬが、お前にとっては一生のことだ。事務のうるささなどたいした問題ではない」
そういって湯呑みに酒を満たすと錫元にすすめた。錫元はあわてて両手で捧げ、一気に飲みほしむせかえった。
金錫源には3人の息子がいる。次男の金泳秀は日本陸軍の大尉として昭和20年フィリピンで戦死している。錫元にたいしてまるで教育者のように接しているのは、その次男とどこか似ているようにおもったことも理由のひとつだったかもしれない。
韓国における陸軍士官学校は、1945年12月5日にソウル西大門区冷泉洞に開校した軍事英語学校が前身である。庇護者である米軍との連絡調整が不可欠なため、軍事と英語をおもに教えた。
46年5月には、ソウル東北方の泰陵に移り朝鮮警備士官学校として再編され、9月には陸軍士官学校に改称された。朝鮮戦争の勃発によって休校、疎開先の鎮海で52年1月に再開し、54年に泰陵に復帰した。
したがって、この時期、学校は鎮海にある。
鎮海についた錫元は、教えられたとおり陸軍士官学校をたずねた。
衛門があり、そこで来訪の意を告げると、兵隊が案内してくれた。校庭はひろく、あちこちに校舎が建っている。
事務室に入らされた。
大尉が出てきて、願書の書式を教えた。
「試験は、作文と英語と数学じゃ」
といった。
錫元はおどろいた。英語というのは軍中で金錫源からすこし習ったが、数学はほとんど知らない。作文は国民学校で綴り方を習ったので多少の自信はあった。それを話すと、
「では作文だけで受けい」
と、この大尉はひどく大ざっぱなことをいった。要するにどの学課であれ、試験官が答案から頭の内容を察し、よければ合格させようというものであるらしい。
試験の当日は風のつよい日だった。
錫元は定刻の9時前に士官学校校庭にゆくと、すでに応募者200人ほどがあつまっていた。ほとんどは錫元同様田舎くさく、服装なども垢ぬけず、一見して田舎者ぞろいであった。
こういうなかでは、ソウルっ子がめだった。
かれらは一群をなして屯(たむ)ろしており、大声でソウルことばを使っているために、何者であるかよくわかった。
「採るのは50人ぐらいだろ。伯父上がそうおっしゃっていた」
と、仲間同士で話している。
(50人しか採らんと言うなら、これはいかんだろうな)
錫元は失望した。どっちでもいいと思い、餅(トック)をかじっていた。嚢中がとぼしいためまともな食事を買う金がなく、やむなく宿の主人に懇願してわけてもらったのである。
ソウルっ子たちは、親類か先輩に陸軍幹部が多いせいか、学校や入学試験についてのことをよく知っていた。
「英語をやらん者は落すそうだ」
という声がきこえてきたが、錫元は平気だった。落すなら落せとおもった。
「そこまでやってもらっていいのでしょうか」
その親切に甘えっぱなしでいいものかどうか、錫元は身のちぢむ思いである。しかし金錫源は、
「わしにとってはただの雑務にすぎぬが、お前にとっては一生のことだ。事務のうるささなどたいした問題ではない」
そういって湯呑みに酒を満たすと錫元にすすめた。錫元はあわてて両手で捧げ、一気に飲みほしむせかえった。
金錫源には3人の息子がいる。次男の金泳秀は日本陸軍の大尉として昭和20年フィリピンで戦死している。錫元にたいしてまるで教育者のように接しているのは、その次男とどこか似ているようにおもったことも理由のひとつだったかもしれない。
韓国における陸軍士官学校は、1945年12月5日にソウル西大門区冷泉洞に開校した軍事英語学校が前身である。庇護者である米軍との連絡調整が不可欠なため、軍事と英語をおもに教えた。
46年5月には、ソウル東北方の泰陵に移り朝鮮警備士官学校として再編され、9月には陸軍士官学校に改称された。朝鮮戦争の勃発によって休校、疎開先の鎮海で52年1月に再開し、54年に泰陵に復帰した。
したがって、この時期、学校は鎮海にある。
鎮海についた錫元は、教えられたとおり陸軍士官学校をたずねた。
衛門があり、そこで来訪の意を告げると、兵隊が案内してくれた。校庭はひろく、あちこちに校舎が建っている。
事務室に入らされた。
大尉が出てきて、願書の書式を教えた。
「試験は、作文と英語と数学じゃ」
といった。
錫元はおどろいた。英語というのは軍中で金錫源からすこし習ったが、数学はほとんど知らない。作文は国民学校で綴り方を習ったので多少の自信はあった。それを話すと、
「では作文だけで受けい」
と、この大尉はひどく大ざっぱなことをいった。要するにどの学課であれ、試験官が答案から頭の内容を察し、よければ合格させようというものであるらしい。
試験の当日は風のつよい日だった。
錫元は定刻の9時前に士官学校校庭にゆくと、すでに応募者200人ほどがあつまっていた。ほとんどは錫元同様田舎くさく、服装なども垢ぬけず、一見して田舎者ぞろいであった。
こういうなかでは、ソウルっ子がめだった。
かれらは一群をなして屯(たむ)ろしており、大声でソウルことばを使っているために、何者であるかよくわかった。
「採るのは50人ぐらいだろ。伯父上がそうおっしゃっていた」
と、仲間同士で話している。
(50人しか採らんと言うなら、これはいかんだろうな)
錫元は失望した。どっちでもいいと思い、餅(トック)をかじっていた。嚢中がとぼしいためまともな食事を買う金がなく、やむなく宿の主人に懇願してわけてもらったのである。
ソウルっ子たちは、親類か先輩に陸軍幹部が多いせいか、学校や入学試験についてのことをよく知っていた。
「英語をやらん者は落すそうだ」
という声がきこえてきたが、錫元は平気だった。落すなら落せとおもった。
これは メッセージ 1364 (toapanlang さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/dabaafa4rbepa4a6_1/1369.html