前方後円墳が韓国でも発見 しかし
投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/06/19 17:49 投稿番号: [9946 / 18519]
http://www2.wbs.ne.jp/~jrjr/nihonsi-1-4-5.htm
前方後円墳の謎
丸い形の円墳と、四角い形の方墳、これが古墳の基本形態だ。
この二つの複合された古墳に、上円下方墳や帆立貝式古墳、前方後方墳などがあるんだけど、天皇家や有力豪族の首長の墓は、圧倒的に前方後円墳なんだよ。
つまり、古墳の中でも前方後円墳は「権威のある古墳」だったと言っていいだろう。
今のところ、最古の前方後円墳と言われているのが箸墓古墳で、全長280メートルという規模の古墳だ。
そんな前方後円墳が、3世紀末に突然出現したんだよ。
最近、朝鮮半島南部で前方後円墳らしき古墳がいくつか発見されている。
そのため、朝鮮半島からの渡来人によって前方後円墳がもたらされたと言う学者もいるけど、発見された遺跡は5〜6世紀のものが多く、年代的には箸墓古墳よりは新しいから、俺は朝鮮半島経由説は支持しない。
たぶん、日本から朝鮮半島に渡った者たちによって前方後円墳という古墳形態が伝えられたのだと思う。
今のところ、朝鮮半島の例を除けば、前方後円墳は日本だけで発掘されている。
だから、日本独自の古墳形態と言っていいと思うんだよ。
ところで、何故、前方後円墳という形にする必要性があったのだろうか。
単なるお墓ならば、別に円墳でも方墳でも良いはずだ。
それなのに、前方後円墳という特異な形にし、しかも巨大化しているのは何故なのか。
まず、前方後円という形については、「後円部に埋葬施設を作り前方部に祭壇を置いたからだ」という説が一般的だな。
でも、前方後方墳や円墳の大きなものでも埋葬施設と祭壇を置くことは可能だし、そもそもお墓なんだから埋葬施設と祭壇を置くのは当然で、前方後円という形にした理由としては説得力がないと思うんだよ。
古墳時代中期になると、前方後円墳の規模も大きくなってくる。
日本最大の前方後円墳である仁徳天皇陵は、全長が約480メートル、高さ35メートルというとんでもない規模の古墳だ。
ここまで巨大化した理由は、権力を誇示するためだったと考えられる。
巨大古墳のベスト10を見てみると、「天皇陵」と言われているものが圧倒的に多い。
つまり、大和朝廷の権力を誇示するために巨大な天皇陵を築造したのだろう。
天皇陵の謎
宮内庁が管理している天皇・皇后陵は約136と言われている。
どうしてそれらの墓が天皇・皇后の墓だとわかるのかというと、文献から判断しているんだよ。
『古事記』や『日本書紀』、あるいは平安時代の『延喜式』などの文献に、歴代天皇の陵墓や位置が明記されている。
そして、明治時代になってから、これらの記録と伝承を対照して、天皇陵の指定が行われたんだよ。
だけど、これらはあくまで文献からの指定であって、考古学的判断ではない。
しかも、天皇陵の発掘は法律で禁止されているため、それらの古墳から「○○天皇の墓だ!」と断定出来る証拠を見つけることも出来ない。
つまり、それら天皇陵と、そこに埋葬された人物が本当に一致しているかどうかはわからないんだよ。
昭和61年5月、大阪府にある太田茶臼山古墳の外堤が傷みはじめたため護岸工事が行われた。
この古墳は継体天皇陵と宮内庁から指定されていたんだけど、この時の工事で出土した埴輪がどれも5世紀中頃のものだったんだよ。
継体天皇の没年は6世紀前半と言われているから、太田茶臼山古墳が継体天皇陵である可能性はなくなってしまったんだよ。
このように、文献だけの判断で指定された天皇陵ってのは信用出来ないんだよ。
だから最近では仁徳天皇陵や崇神天皇陵といった呼び方はせず、所在地を古墳名としているんだよ。
沖の:
最近、朝鮮半島南部で前方後円墳らしき古墳がいくつか発見されている。
発見された遺跡は5〜6世紀のものが多く、年代的には箸墓古墳3〜4世紀よりは新しいから、たぶん、日本から朝鮮半島に渡った者たちによって前方後円墳という古墳形態が伝えられたのだと思う。
今のところ、朝鮮半島の例を除けば、前方後円墳は日本だけで発掘されている。と云う事だがこれが韓国にとっては面白くないのだ,それは日本の古墳の方が200年位先輩だからだ,最初発見当時は興奮した韓国学会も,年代が日本より新らしいとわかるとガッカリして,今は見向きもしないらしい,さもあろう,人骨を調査して倭人の骨だったら,さらにショックを深めるからだ
前方後円墳の謎
丸い形の円墳と、四角い形の方墳、これが古墳の基本形態だ。
この二つの複合された古墳に、上円下方墳や帆立貝式古墳、前方後方墳などがあるんだけど、天皇家や有力豪族の首長の墓は、圧倒的に前方後円墳なんだよ。
つまり、古墳の中でも前方後円墳は「権威のある古墳」だったと言っていいだろう。
今のところ、最古の前方後円墳と言われているのが箸墓古墳で、全長280メートルという規模の古墳だ。
そんな前方後円墳が、3世紀末に突然出現したんだよ。
最近、朝鮮半島南部で前方後円墳らしき古墳がいくつか発見されている。
そのため、朝鮮半島からの渡来人によって前方後円墳がもたらされたと言う学者もいるけど、発見された遺跡は5〜6世紀のものが多く、年代的には箸墓古墳よりは新しいから、俺は朝鮮半島経由説は支持しない。
たぶん、日本から朝鮮半島に渡った者たちによって前方後円墳という古墳形態が伝えられたのだと思う。
今のところ、朝鮮半島の例を除けば、前方後円墳は日本だけで発掘されている。
だから、日本独自の古墳形態と言っていいと思うんだよ。
ところで、何故、前方後円墳という形にする必要性があったのだろうか。
単なるお墓ならば、別に円墳でも方墳でも良いはずだ。
それなのに、前方後円墳という特異な形にし、しかも巨大化しているのは何故なのか。
まず、前方後円という形については、「後円部に埋葬施設を作り前方部に祭壇を置いたからだ」という説が一般的だな。
でも、前方後方墳や円墳の大きなものでも埋葬施設と祭壇を置くことは可能だし、そもそもお墓なんだから埋葬施設と祭壇を置くのは当然で、前方後円という形にした理由としては説得力がないと思うんだよ。
古墳時代中期になると、前方後円墳の規模も大きくなってくる。
日本最大の前方後円墳である仁徳天皇陵は、全長が約480メートル、高さ35メートルというとんでもない規模の古墳だ。
ここまで巨大化した理由は、権力を誇示するためだったと考えられる。
巨大古墳のベスト10を見てみると、「天皇陵」と言われているものが圧倒的に多い。
つまり、大和朝廷の権力を誇示するために巨大な天皇陵を築造したのだろう。
天皇陵の謎
宮内庁が管理している天皇・皇后陵は約136と言われている。
どうしてそれらの墓が天皇・皇后の墓だとわかるのかというと、文献から判断しているんだよ。
『古事記』や『日本書紀』、あるいは平安時代の『延喜式』などの文献に、歴代天皇の陵墓や位置が明記されている。
そして、明治時代になってから、これらの記録と伝承を対照して、天皇陵の指定が行われたんだよ。
だけど、これらはあくまで文献からの指定であって、考古学的判断ではない。
しかも、天皇陵の発掘は法律で禁止されているため、それらの古墳から「○○天皇の墓だ!」と断定出来る証拠を見つけることも出来ない。
つまり、それら天皇陵と、そこに埋葬された人物が本当に一致しているかどうかはわからないんだよ。
昭和61年5月、大阪府にある太田茶臼山古墳の外堤が傷みはじめたため護岸工事が行われた。
この古墳は継体天皇陵と宮内庁から指定されていたんだけど、この時の工事で出土した埴輪がどれも5世紀中頃のものだったんだよ。
継体天皇の没年は6世紀前半と言われているから、太田茶臼山古墳が継体天皇陵である可能性はなくなってしまったんだよ。
このように、文献だけの判断で指定された天皇陵ってのは信用出来ないんだよ。
だから最近では仁徳天皇陵や崇神天皇陵といった呼び方はせず、所在地を古墳名としているんだよ。
沖の:
最近、朝鮮半島南部で前方後円墳らしき古墳がいくつか発見されている。
発見された遺跡は5〜6世紀のものが多く、年代的には箸墓古墳3〜4世紀よりは新しいから、たぶん、日本から朝鮮半島に渡った者たちによって前方後円墳という古墳形態が伝えられたのだと思う。
今のところ、朝鮮半島の例を除けば、前方後円墳は日本だけで発掘されている。と云う事だがこれが韓国にとっては面白くないのだ,それは日本の古墳の方が200年位先輩だからだ,最初発見当時は興奮した韓国学会も,年代が日本より新らしいとわかるとガッカリして,今は見向きもしないらしい,さもあろう,人骨を調査して倭人の骨だったら,さらにショックを深めるからだ
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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