「住」と「往」
投稿者: lib1964_1982 投稿日時: 2005/06/18 14:47 投稿番号: [9932 / 18519]
粛宗実録の「倭言吾等本住松島」などにおける「住」を「往」の誤記とする必要はないと思います。
日本の漁民は船で松島に渡って、漁をしたわけです。松島へ、向かって、船で行って、そこに船を止めた、このことは日本の記録でも疑いないでしょう。
松島へ向かったことを強調すれば「向」。松島へ行ったことを強調すれば「往」。とまった、あるいは留まったことを強調すれば「住」になります。
住の文字は「居住する」との意味がありますが、止まる・とどまる、の意味もあります。手元の中日辞典では「風住了=かぜがやんだ」「住船=ふねをとめる」の用例が載っています。漢和辞典には李白の詩がのっているかな。広辞苑にも「一所不住」の用例が載っています。
日本の漁民は、松島に仮小屋を作って、そこを仮の宿りとしていた可能性もあるので、住の文字を「(仮小屋に)居住する」との意味と理解しても、実態に照らし合わせてみた場合、何も疑問は生じないと思います。
私としては、往より住のほうが口調が好きです。「向」「往」「住」のどの文字を使うかは、書いた人の文才の問題でしょう。もちろん、往でも、意味的には問題ないので、往の誤記の可能性はありますが。
あるインターネットページには次のように記載してあります。
「住」は居住の意味であり、「行く」という意味ではない。竹島は人が住めない島であることが分かっているので、辻褄を合わせる為に、故意に資料を捏造解釈したのである
ムチャクチャ、デタラメな記述です。はずかしいですね。こんな記述を信用して、議論するのはばかげています。このようなデタラメなページは参考にしないほうがよろしいかと思います。
次に「本所」について。
文章中で使われている場合、「本」は、「今話題としている」の意味で使われることがあります。自分の側の気持ちがある場合が多いと思いますが。「今当還往本所」は「今話題としているところに帰ろうとしている」とも解釈できます。
>「本所」というのは、私の感覚では「本来の居所」なんですが
もちろんこのような解釈も成り立つでしょう。同じことではないですか。疑問は「居所」というと、現在のわれわれの感じでは、住民票があって、風呂があって、子供が学校に通って…となることかと思います。仮小屋に一時滞在でも、本所でよろしいのではないかと思います。
金剛般若経では釈尊が滞在していた祇園精舎を「本処」と表現しています。現在の「居住」というよりは、「滞在」に近い状態です。
>また、「還往」を帰るという意味以外に解釈されている方はいないと思いますので、粛宗実録を字句どおり素直に読んでも、話の真偽は別として、辻褄があうと思うのですが。
まったく、同感です。
日本の漁民は船で松島に渡って、漁をしたわけです。松島へ、向かって、船で行って、そこに船を止めた、このことは日本の記録でも疑いないでしょう。
松島へ向かったことを強調すれば「向」。松島へ行ったことを強調すれば「往」。とまった、あるいは留まったことを強調すれば「住」になります。
住の文字は「居住する」との意味がありますが、止まる・とどまる、の意味もあります。手元の中日辞典では「風住了=かぜがやんだ」「住船=ふねをとめる」の用例が載っています。漢和辞典には李白の詩がのっているかな。広辞苑にも「一所不住」の用例が載っています。
日本の漁民は、松島に仮小屋を作って、そこを仮の宿りとしていた可能性もあるので、住の文字を「(仮小屋に)居住する」との意味と理解しても、実態に照らし合わせてみた場合、何も疑問は生じないと思います。
私としては、往より住のほうが口調が好きです。「向」「往」「住」のどの文字を使うかは、書いた人の文才の問題でしょう。もちろん、往でも、意味的には問題ないので、往の誤記の可能性はありますが。
あるインターネットページには次のように記載してあります。
「住」は居住の意味であり、「行く」という意味ではない。竹島は人が住めない島であることが分かっているので、辻褄を合わせる為に、故意に資料を捏造解釈したのである
ムチャクチャ、デタラメな記述です。はずかしいですね。こんな記述を信用して、議論するのはばかげています。このようなデタラメなページは参考にしないほうがよろしいかと思います。
次に「本所」について。
文章中で使われている場合、「本」は、「今話題としている」の意味で使われることがあります。自分の側の気持ちがある場合が多いと思いますが。「今当還往本所」は「今話題としているところに帰ろうとしている」とも解釈できます。
>「本所」というのは、私の感覚では「本来の居所」なんですが
もちろんこのような解釈も成り立つでしょう。同じことではないですか。疑問は「居所」というと、現在のわれわれの感じでは、住民票があって、風呂があって、子供が学校に通って…となることかと思います。仮小屋に一時滞在でも、本所でよろしいのではないかと思います。
金剛般若経では釈尊が滞在していた祇園精舎を「本処」と表現しています。現在の「居住」というよりは、「滞在」に近い状態です。
>また、「還往」を帰るという意味以外に解釈されている方はいないと思いますので、粛宗実録を字句どおり素直に読んでも、話の真偽は別として、辻褄があうと思うのですが。
まったく、同感です。
これは メッセージ 9927 (tuutuu32 さん)への返信です.
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