1696〜1882、朝鮮巡察使は松島を
投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/06/05 01:00 投稿番号: [9762 / 18519]
>鬱陵島が問題となるのは1881年5月、江原道監詞が鬱陵島捜討官(朝鮮は1696年以後、3年に一度巡察使を、当時無人島であった鬱陵島に派遣)からの報告を受け、日本人7名が鬱陵島で木材を伐採していると、報告した事から始まっている。この時朝鮮は日本の外務省に抗議し、併せて副護軍の李奎遠を鬱陵島検察使に任命して鬱陵島に派遣する事になった。
1882年6月、鬱陵島から戻った鬱陵島検察使・李奎遠はその啓文で、「晴明の日、高きに登りて遠眺すれば、即ち千里を窮(きわ)むべくして、更に一挙の石一撮の土なし」とし、鬱陵島検察日記には「四望して海中にうかぶに一点の島嶼(とうしょ)の見形無し」と記している。これは鬱陵島の最高峰である聖人峰(984m)の頂上に立ち、四方を望見した結果を述べた部分で、そこからは島影らしきものは何も発見できなかった。
Okino:
1696年から3年きざみに巡察使を鬱陵島に派遣し巡察してるのに松島(う山島)の存在をしらなかった事に成る、
当然朝鮮は、松島(う山島)の領有意思も無かったのだ。1849年フランスのリアンクール岩、命名があったにもかかわらず朝鮮は松島をしらなかった事に成る。
これは メッセージ 9761 (okinotorisima2004 さん)への返信です.
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