>「竹島外一島」について
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/05/30 22:11 投稿番号: [9693 / 18519]
>よって地籍編纂上の立場で言えば「竹島外一島」の意味は「竹島(=鬱稜島?)」とそのすぐ近くの地籍を得られそうな島(地券が発生する島)という理解になります。
そもそも「外一島」との表現は内務省地理寮からの島根県への伺い書において「竹島ト相唱候孤島有之哉ニ相聞」としたものについて、島根県が「竹島外一島」として「由来の概略」ほかの資料を添え地籍編纂の取り計らいについてさらに問い合わせたことに始まるものと理解しています。
そこにおいては明確に竹島・松島と記された資料が添付されていますので「外一島」と島根県が表現した対象は竹島・松島としか取りようがないものと思います。それに対しての太政官の判断も、つまり竹島・松島を「版図外」としたものと考えるべきであるものと思います。
それは明らかに今日の鬱稜島と竹島(独島)をうかがわせるものですが、その位置がどこであったかの理解はどうやら明治政府には伴っていなかったようです。実際のところ当時の陸軍・文部省・内務省それぞれの地図において現竹島(独島)の認識はありません。
ときの明治政府はアルゴノート、ダジュレー島の「位置」においてそれぞれ竹島・松島を認識した上で、それに対して「版図外」との判断を示したものと考えます。そうした理解によってはじめて、明治13年に鬱稜島が松島と確定するに至ることの整合性がとれるものと思われます。
これは メッセージ 9657 (jo_hauks_nobu さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/9693.html