竹島

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国内か国外かを整理します。

投稿者: VIVA_VIVA_21 投稿日時: 2005/05/22 23:05 投稿番号: [9499 / 18519]
徳川政権はごく初期と末期を除いて鎖国政策を取っていた関係で対外関係は非常に限られており整理しやすいと思います。
まず、対外関係の基本は以下のとおりです。
  ①中国・オランダ=長崎奉行が管轄(=幕府直轄)
  ②琉球=薩摩藩が管轄
  ③蝦夷=松前藩が管轄
  ④朝鮮=対馬藩が管轄
つまり①〜④以外のルートは国内案件か闇ルートということになります。
ここは「隠州視聴合記」のバックボーンになる部分でもあり、ここを整理すれば文書の意味も見えてくると思います。
というのも出雲藩は徳川幕府に臣下の礼を取っており、幕藩体制下にあると言えます。よって幕府の鎖国政策に歩調を合わせた政策運営を行うことを義務づけられているからです。つまり上記以外の手段で対外的行動は行うことはないということです。
さて、隠岐にある出雲藩番所が鬱稜島、竹島への渡航を管理していた歴史的事実については、もはや異論がないところだと思います。
朝鮮との関係は対馬藩が担当するというのが当時の幕政の基本です。実際に朝鮮通信使など朝鮮との国交関係全般は対馬藩が当たっていましたし、対馬藩が幕府の名代というのを朝鮮側も認識しています。また、対馬経由で釜山に行くのが認められた公認ルートでした。
この状況下で出雲藩が鬱稜島や竹島への渡航を管理していたということは、幕府はこの両島が朝鮮のものであるという認識はなかった証拠になります。仮に朝鮮領と認識していたならば対馬藩に渡航管理をさせるはずです。
前にも書きましたが、対朝鮮関係は対馬藩が総括していたので、朝鮮への渡航に朱印状は必要ありませんでした。朱印船制度は鎖国が制度化されるに連れて、後に老中連署による奉書の携行も義務づけられたのですが、これも対朝鮮は対馬藩所管ということで対象外です。
それでも幕府のお墨付きがあるということは何を意味するのでしょうか。
結論として、ここで言えることは鬱稜島、竹島への渡航は日本国内の事案として扱われていたとしか考えられないということです。
半月城氏のいう朱印や奉書の意味が海外渡航許可を示すものでないのは上記①〜④の事実を見たときに明白になります。
また以前の渡航で述べた(No.9302〜04)ように鬱稜島、竹島への渡航は海外扱いではないのは明らかです。
私はこの投稿以外にも今までこの掲示板で述べてきましたような理由を総合的に勘案し竹島は歴史的にも地理的にも国際法上も日本領であることを確信するに至ったわけですが、隠州の範囲について同じく竹島日本領派の思考の方と意見に違いがあるのは認識しています。しかし、それはこの掲示板では問題ありません。というのも竹島の領有権が日本にあるか韓国にあるかが問題なわけで、日本側に領有権があるという主張の方と意見の溝を埋める必要はないからです。竹島が当時の隠州という行政単位に含まれていたのか、含まれていなかったのか等は、まさに国内問題です。
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