捏造解釈を斬る③
投稿者: VIVA_VIVA_21 投稿日時: 2005/05/06 19:16 投稿番号: [9304 / 18519]
前述のように朱印とは外国との貿易だけのものであるという妄想を持った方も見受けられますが、朱印とは公儀公認という意味であり、決して海外貿易だけに適用されるものではありません。
もっと分かりやすくするために、いくつか例をあげましょう。
関ヶ原の戦いの後、大久保長安は石見銀山に奉行に入る際に徳川家康発給の「朱印状」を持っており、石見銀山は「御朱印地」となりました。この時点での朱印は幕府の独占開発権の設定という意味合いを持ちます。その権限を大久保長安が命じられたわけです。以後は、それまで毛利家120万石と豊臣家の共同管理であった銀山を徳川氏の幕府が独占することになりました。(同時に毛利家は30万石に減俸されています。)
その後、石見銀山とその周辺地は約5万石の蔵入地が設定されました。この蔵入地の設定も朱印状で行われています。日光東照宮も同じ御朱印地なので、諸藩は手出しができないわけです。朱印地になると諸藩の行政権が及ばなくなります。
朱印が海外との関係にのみ適用されるとなると、石見銀山も海外であり、日光東照宮も海外ということになりますが、両地とも外国領土になったという話は聞いたことがありません。
御朱印地と言わずに「朱印を賜り」となっているところを見ると、開発権、渡航権の付与と見るのが正しい見方です。大谷家も村川家も幕藩体制に組み込まれた存在ではなく、商家なので知行地として両島をもらったのではなく、開発渡航権を得た者と見るのが妥当です。
幕藩体制以下では土地は幕府、諸藩、公家などの両地、または社領等でしか所有できません。よって商人が知行地を得ることはできませんでした。
繰り返しますが、朱印船制度は東南アジアの国が対象で朝鮮は対象外であることも説明したとおりです。また対馬藩も関係ないことからも、当時の幕府が鬱稜島まで日本領であると認識していたと証明できるわけです。半月城氏の主張するようにこの文献で鬱稜島まで日本領であるという認識を当時の幕府が持っていたことが証明できたわけで、歴史上、地理上の竹島領有根拠は日本側の圧勝ということが断定できそうです。
もっと分かりやすくするために、いくつか例をあげましょう。
関ヶ原の戦いの後、大久保長安は石見銀山に奉行に入る際に徳川家康発給の「朱印状」を持っており、石見銀山は「御朱印地」となりました。この時点での朱印は幕府の独占開発権の設定という意味合いを持ちます。その権限を大久保長安が命じられたわけです。以後は、それまで毛利家120万石と豊臣家の共同管理であった銀山を徳川氏の幕府が独占することになりました。(同時に毛利家は30万石に減俸されています。)
その後、石見銀山とその周辺地は約5万石の蔵入地が設定されました。この蔵入地の設定も朱印状で行われています。日光東照宮も同じ御朱印地なので、諸藩は手出しができないわけです。朱印地になると諸藩の行政権が及ばなくなります。
朱印が海外との関係にのみ適用されるとなると、石見銀山も海外であり、日光東照宮も海外ということになりますが、両地とも外国領土になったという話は聞いたことがありません。
御朱印地と言わずに「朱印を賜り」となっているところを見ると、開発権、渡航権の付与と見るのが正しい見方です。大谷家も村川家も幕藩体制に組み込まれた存在ではなく、商家なので知行地として両島をもらったのではなく、開発渡航権を得た者と見るのが妥当です。
幕藩体制以下では土地は幕府、諸藩、公家などの両地、または社領等でしか所有できません。よって商人が知行地を得ることはできませんでした。
繰り返しますが、朱印船制度は東南アジアの国が対象で朝鮮は対象外であることも説明したとおりです。また対馬藩も関係ないことからも、当時の幕府が鬱稜島まで日本領であると認識していたと証明できるわけです。半月城氏の主張するようにこの文献で鬱稜島まで日本領であるという認識を当時の幕府が持っていたことが証明できたわけで、歴史上、地理上の竹島領有根拠は日本側の圧勝ということが断定できそうです。
これは メッセージ 9303 (VIVA_VIVA_21 さん)への返信です.
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