内藤正中氏の見解
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/01/24 22:46 投稿番号: [858 / 18519]
半月城です。
Yahoo!掲示板の旧「竹島」で「竹島外一島」をめぐって、私はずいぶん時間を浪費しました。虎三氏のこじつけにつきあっただけ、無駄な消耗をしました。また、これは虎三氏にも不幸な結果になってしまったのではないかと思っています。かれはそのためか姿をみせないようです。そうした教訓もあって、私はレスをますます選択することにしています。
さて、この「明治の竹島=独島放棄問題」問題を私はクリアしました。クリアできたのは、「竹島日本領派」の塚本孝氏が「竹島外一島」に関して<松島(今日の竹島)もまた「本邦無関係」とされることになった>と公表し、竹島=独島放棄の史実を認定したためです。それでツキモノが落ちました。
塚本論文が発表されてから7年、オリジナルの堀論文から16年たっても<明治の竹島=独島放棄説>に反論する研究者は誰もいません。「竹島=独島放棄」はほぼ定説化したものと思われます。
もっとも研究者、研究家といっても、『通航一覧』すら知らない自称「竹島問題研究家」などもいますが、かれなどはもちろん問題外です。なお、放棄説には郷土資料を重視する立場の内藤正中氏も賛成しており、こう記しました。
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島根県としては、松島(現竹島)を竹島(鬱陵島)の属島とみなして、「竹島外一島」として取扱い、1695年(元禄8)に至る78年間にわたる米子町人による竹島渡海の歴史を調査した上で、「其大概を推察」するといって、竹島外一島の島根県への地籍編入を考えて内務省に伺い出たのである。
これを受けた内務省は、独自に資料を調査して、竹島外一島は日本領土ではないとする結論を出した。ただし「版図ノ取捨ハ重大之事件」であるとして、1877年(明治10)3月に、太政官に伺書を提出して決裁を求める。そのさい内務省は、「竹島外一島之本邦関係無之儀ト心得事」との指令案を作成していたが、右大臣岩倉具視、参議の大隈重信・寺島宗則・大木喬任らによって原案通りと承認決裁された。
こうして3月29日に太政官で原案通り承認されたことが指令され、日本政府は「竹島外一島」が日本領土でないことを公的に確認したのであった。そして前述『島根県歴史』に記録されているように、4月9日に内務省から島根県に伝えられた(注)。
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なお、内藤氏の立場ですが、同氏は現在の竹島=独島領有権問題については堀氏同様、著書では何も発言されていないようです。
RE:814, dimentor00さん
>外一島が現在の竹島であるとするのは無理があります
これは塚本氏にアドバイスしてください。すでに研究者間でクリアになっていることなので、私は取りあいません。ここで塚本氏以上の説明やコメントをつけ加えることなどは屋上屋を重ねるだけで、ほとんど無意味だと思っています。「竹島日本領派」すら放棄を認めたという事実で十分です。それをどうしても受け入れられない人は、独創的な物語をつくりあげて楽しんでください。
(注)内藤正中『竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史』多賀出版,2000,P131
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
Yahoo!掲示板の旧「竹島」で「竹島外一島」をめぐって、私はずいぶん時間を浪費しました。虎三氏のこじつけにつきあっただけ、無駄な消耗をしました。また、これは虎三氏にも不幸な結果になってしまったのではないかと思っています。かれはそのためか姿をみせないようです。そうした教訓もあって、私はレスをますます選択することにしています。
さて、この「明治の竹島=独島放棄問題」問題を私はクリアしました。クリアできたのは、「竹島日本領派」の塚本孝氏が「竹島外一島」に関して<松島(今日の竹島)もまた「本邦無関係」とされることになった>と公表し、竹島=独島放棄の史実を認定したためです。それでツキモノが落ちました。
塚本論文が発表されてから7年、オリジナルの堀論文から16年たっても<明治の竹島=独島放棄説>に反論する研究者は誰もいません。「竹島=独島放棄」はほぼ定説化したものと思われます。
もっとも研究者、研究家といっても、『通航一覧』すら知らない自称「竹島問題研究家」などもいますが、かれなどはもちろん問題外です。なお、放棄説には郷土資料を重視する立場の内藤正中氏も賛成しており、こう記しました。
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島根県としては、松島(現竹島)を竹島(鬱陵島)の属島とみなして、「竹島外一島」として取扱い、1695年(元禄8)に至る78年間にわたる米子町人による竹島渡海の歴史を調査した上で、「其大概を推察」するといって、竹島外一島の島根県への地籍編入を考えて内務省に伺い出たのである。
これを受けた内務省は、独自に資料を調査して、竹島外一島は日本領土ではないとする結論を出した。ただし「版図ノ取捨ハ重大之事件」であるとして、1877年(明治10)3月に、太政官に伺書を提出して決裁を求める。そのさい内務省は、「竹島外一島之本邦関係無之儀ト心得事」との指令案を作成していたが、右大臣岩倉具視、参議の大隈重信・寺島宗則・大木喬任らによって原案通りと承認決裁された。
こうして3月29日に太政官で原案通り承認されたことが指令され、日本政府は「竹島外一島」が日本領土でないことを公的に確認したのであった。そして前述『島根県歴史』に記録されているように、4月9日に内務省から島根県に伝えられた(注)。
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なお、内藤氏の立場ですが、同氏は現在の竹島=独島領有権問題については堀氏同様、著書では何も発言されていないようです。
RE:814, dimentor00さん
>外一島が現在の竹島であるとするのは無理があります
これは塚本氏にアドバイスしてください。すでに研究者間でクリアになっていることなので、私は取りあいません。ここで塚本氏以上の説明やコメントをつけ加えることなどは屋上屋を重ねるだけで、ほとんど無意味だと思っています。「竹島日本領派」すら放棄を認めたという事実で十分です。それをどうしても受け入れられない人は、独創的な物語をつくりあげて楽しんでください。
(注)内藤正中『竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史』多賀出版,2000,P131
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 814 (dimentor00 さん)への返信です.
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