>明治政府の竹島=独島認識
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/04/10 23:27 投稿番号: [8509 / 18519]
レスを感謝します。
>田辺は、「古来」の松島は于山島であるとする一方で、その認識に合わない「開拓願」の松島は不明としました。当然のことです。「開拓願」の方が島の名を誤っているのですから。
私が申し上げているのは「このように明治政府の関連機関は、竹島=独島は朝鮮領であると認識していました」は、半月城さんの勇み足であるということですが、ともあれ田辺は「聞くところでは松島は于山島であり」という立場で慎重ではありましたが曖昧であったことには違いないと申し上げました。
>古来の日本名が失われ、外国名がつけられた島は、いわば領有意識がほとんどなかった証拠ともいえますが、それを強いて日本領というのはあまりにも我田引水がすぎるのではないでしょうか。
誤解をされているようですが、この時期におけるリャンコ島を明治政府が領有していたとは私は考えていませんし、これまでそのように書いてきたかと思います。リャンコ島は、私は1905年までは無主島であったとする考えです。
繰り返しますが、江戸時代を経て、明治政府の時代に入るころ、半月城さんの仰るような「明治政府の関連機関は、竹島=独島は朝鮮領であると認識」したのではなく、私は「明治政府の関連機関は、竹島、松島、リャンコ島の地理的理解に混乱があった」と申し上げているに過ぎません。
>ahirutousagi2さんは、まだ真実に向き合おうとしないのでしょうか? 塚本孝氏も日本の最高国家機関たる太政官は<松島(今日の竹島)もまた「本邦無関係」とされることになったのである>と認めているのですが、この研究を疑問視するのですか?
誰が何を言っているということはどうでもよろしいことです。下條氏であれ、誰であれ、正しいと思う部分はそれを受け入れるし、そうでないと思うところは受け入れないだけの話です。この場は、そういう個人の自由な考えによって成り立っているのではないですか。
なお、この件につきましてはすでに3153や2881、2808、その他で私の考えは申し上げています。考えはとくに変わっていません。
例えば、以下の勝海舟の地図も別段、島根県の「伺書および竹島、松島を説明した付属文書」と矛盾するとも言い切れないものです。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/great-japan.html
重大事件との認識をもって処理したから当然に竹島=蔚陵島、松島=独島だったはずとする半月城さんの見方は、私は強引に過ぎると思っていますし、また、資料的裏づけにおいても整合性がとれないのではないかと考えています。
例えば、私は見たことがないのですが、陸軍参謀局の朝鮮全図(1875)と文部省の日本全図(1877)も鬱陵島が竹島と松島に描かれており、現在の独島は描かれていないとか。
あるいは、内務省や太政官が正確に竹島=蔚陵島、松島=独島と認識していたとして、3年後の天城の調査から、ころっと竹島=竹嶼、松島=鬱陵島と変わってしまうのはなぜでしょうか。半月城さんは、このあたりの事情をどのようにお考えなのでしょうか。
私は単純に「今日の松島は即ち元禄十二年称する所の竹島にして古来我版図外の地たるや知るべし」(竹島考証、原文ひらがなはカタカナ)をそのままに受け入れているに過ぎません。江戸時代の竹島は、明治のこの頃においては混乱を経て、松島と確定するにいたったのであり、3年前の太政官判断も遡ってこれ(松島=鬱陵島)によっても差し支えないという考えです。
>田辺は、「古来」の松島は于山島であるとする一方で、その認識に合わない「開拓願」の松島は不明としました。当然のことです。「開拓願」の方が島の名を誤っているのですから。
私が申し上げているのは「このように明治政府の関連機関は、竹島=独島は朝鮮領であると認識していました」は、半月城さんの勇み足であるということですが、ともあれ田辺は「聞くところでは松島は于山島であり」という立場で慎重ではありましたが曖昧であったことには違いないと申し上げました。
>古来の日本名が失われ、外国名がつけられた島は、いわば領有意識がほとんどなかった証拠ともいえますが、それを強いて日本領というのはあまりにも我田引水がすぎるのではないでしょうか。
誤解をされているようですが、この時期におけるリャンコ島を明治政府が領有していたとは私は考えていませんし、これまでそのように書いてきたかと思います。リャンコ島は、私は1905年までは無主島であったとする考えです。
繰り返しますが、江戸時代を経て、明治政府の時代に入るころ、半月城さんの仰るような「明治政府の関連機関は、竹島=独島は朝鮮領であると認識」したのではなく、私は「明治政府の関連機関は、竹島、松島、リャンコ島の地理的理解に混乱があった」と申し上げているに過ぎません。
>ahirutousagi2さんは、まだ真実に向き合おうとしないのでしょうか? 塚本孝氏も日本の最高国家機関たる太政官は<松島(今日の竹島)もまた「本邦無関係」とされることになったのである>と認めているのですが、この研究を疑問視するのですか?
誰が何を言っているということはどうでもよろしいことです。下條氏であれ、誰であれ、正しいと思う部分はそれを受け入れるし、そうでないと思うところは受け入れないだけの話です。この場は、そういう個人の自由な考えによって成り立っているのではないですか。
なお、この件につきましてはすでに3153や2881、2808、その他で私の考えは申し上げています。考えはとくに変わっていません。
例えば、以下の勝海舟の地図も別段、島根県の「伺書および竹島、松島を説明した付属文書」と矛盾するとも言い切れないものです。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/great-japan.html
重大事件との認識をもって処理したから当然に竹島=蔚陵島、松島=独島だったはずとする半月城さんの見方は、私は強引に過ぎると思っていますし、また、資料的裏づけにおいても整合性がとれないのではないかと考えています。
例えば、私は見たことがないのですが、陸軍参謀局の朝鮮全図(1875)と文部省の日本全図(1877)も鬱陵島が竹島と松島に描かれており、現在の独島は描かれていないとか。
あるいは、内務省や太政官が正確に竹島=蔚陵島、松島=独島と認識していたとして、3年後の天城の調査から、ころっと竹島=竹嶼、松島=鬱陵島と変わってしまうのはなぜでしょうか。半月城さんは、このあたりの事情をどのようにお考えなのでしょうか。
私は単純に「今日の松島は即ち元禄十二年称する所の竹島にして古来我版図外の地たるや知るべし」(竹島考証、原文ひらがなはカタカナ)をそのままに受け入れているに過ぎません。江戸時代の竹島は、明治のこの頃においては混乱を経て、松島と確定するにいたったのであり、3年前の太政官判断も遡ってこれ(松島=鬱陵島)によっても差し支えないという考えです。
これは メッセージ 8502 (hangetsujoh さん)への返信です.
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