つづき
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/04/08 00:05 投稿番号: [8441 / 18519]
『世宗実録』完成当時は、金自周が獨島へ到達して居らず、従って三峯島の記事はありません。
しかし、鬱陵島の他に別島ありとして捜査活動が行われており、このことが県の東に二島ありと明記する、二島説の確立に結びついたものと思われます。
続く『東国輿地勝覧』編纂の時期は、金自周らの成果を反映して、鬱陵島の項目に三峯島捜得事業についての記述が加えられたと思われます。
また本来の「規式」に従うならば、他の島嶼のように素っ気ないほど簡潔に記すはずですが、『東国輿地勝覧』に於ける鬱陵島と獨島の記述は極めて異例とも言えるほど詳述されており、この面からも、当時の国家事業として行われた三峯島捜得事業の成果を特記したのではないかと考えられます。
これは メッセージ 8439 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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