「竹島日本領派」の松島放棄対応1
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/01/21 21:12 投稿番号: [805 / 18519]
半月城です。
明治政府による竹島・松島放棄に「竹島=独島日本領派」の研究者はどう対応しているのかについてふれたいと思います。具体的には、塚本孝氏と芹田健太郎氏のふたりを取りあげます。
まず、塚本氏ですが,明治政府が竹島=独島を日本の版図外にしたという史実を同氏が認めた画期的な文章は下記のとおりです。
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8.元禄以降明治までの状況
明治9年10月内務省地理寮の係官が島根県を巡回した際、旧藩時代の竹島渡海についての情報に接し、島根県地籍編製係に詳細を照会した。島根県令(代理)はこれをうけて大谷家の記録等に基づき「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」を内務卿あてに提出した。(一件書類は『公文録』明治十年三月内務省之部一に収録されている。)
この“竹島”は鬱陵島のことであり“ほか一島”は同じく江戸時代に渡海した松島すなわち今日の竹島のことである。島根県が両島を地籍に編入する方向で指示を仰いだのは、“竹島”については、現地(大谷家)では元禄9年の渡海禁止(前記3)を、朝鮮から“竹島”(鬱陵島)の日本領であることを認める証文を取り付けた上での措置であったと認識していたこと(上記『公文録』収録の文書、また『竹島渡海由来記抜書控』)によると考えられ、“ほか一島”について地籍を編制するなら松島も忘れてはならないというような考えであったと思われる。
島根県からの「伺」を受けて、内務省は、翌明治10年(1877年)3月、元禄年間の日朝交渉の記録に基づき、「竹島所轄之儀ニ付島根県ヨリ別紙伺出取調候処該島之儀ハ・・・本邦関係無之相聞候得共版図之取捨ハ重大之事件ニ付島根県ヨリ別紙相添為念此段相伺候也」として右大臣に伺いをたてた。右大臣は、同3月29日付で、内務省案のとおり、「伺之趣竹島外一島之儀本邦関係無之儀ト心得事」と指示した。
以上要するに、島根県は“竹島(鬱陵島)”について内務省から照会を受け、県としては地籍を編纂する方向で「竹島外一島」の地籍編纂方伺いを提出し、内務省は“竹島”(鬱陵島)をめぐる元禄の記録に基づいて「竹島は本邦無関係」であると考え、右大臣は「竹島外一島」が本邦無関係と指示した。
この結果、元禄の日朝交渉で松島(今日の竹島)が話題になったことはなく(前記3)、内務省が検討し右大臣への伺いに別紙として添付した日朝交渉関係文書ももっぱら“竹島”(鬱陵島)に関するものであったにもかかわらず、形式的には、松島(今日の竹島)もまた「本邦無関係」とされることになったのである。『公文録』所収の一件資料は、韓国側の竹島領有主張を支持する日本人研究者によって紹介された(注1)。
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塚本氏のいう「韓国側の竹島領有主張を支持する日本人研究者」とは堀和生氏を指すと思われますが、そうであれば、それは堀氏を誤解しています。同氏自身は、国際法上の領有権問題は歴史的な領有とは別問題であると述べたのを私はたしか新聞で読んだ記憶があります。
そのとおりだと思います。歴史的に領有がいかに正当であっても、侵略戦争を合法的と考える「狼どもの国際法」如何によっては一夜にして領有権者がひっくり返ることもあるので当然です。
戦後のポーランドやドイツなどでは、ドイツの侵略戦争にたいする賠償の意味もあってか、国境が大きく変動しました。こうした国では、ついぞ歴史的な「固有領土」の主張をあまり耳にしません。国境変動が当たり前の国々では「固有領土」の主張はあまり意味がないのでしょうか。
(つづく)
明治政府による竹島・松島放棄に「竹島=独島日本領派」の研究者はどう対応しているのかについてふれたいと思います。具体的には、塚本孝氏と芹田健太郎氏のふたりを取りあげます。
まず、塚本氏ですが,明治政府が竹島=独島を日本の版図外にしたという史実を同氏が認めた画期的な文章は下記のとおりです。
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8.元禄以降明治までの状況
明治9年10月内務省地理寮の係官が島根県を巡回した際、旧藩時代の竹島渡海についての情報に接し、島根県地籍編製係に詳細を照会した。島根県令(代理)はこれをうけて大谷家の記録等に基づき「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」を内務卿あてに提出した。(一件書類は『公文録』明治十年三月内務省之部一に収録されている。)
この“竹島”は鬱陵島のことであり“ほか一島”は同じく江戸時代に渡海した松島すなわち今日の竹島のことである。島根県が両島を地籍に編入する方向で指示を仰いだのは、“竹島”については、現地(大谷家)では元禄9年の渡海禁止(前記3)を、朝鮮から“竹島”(鬱陵島)の日本領であることを認める証文を取り付けた上での措置であったと認識していたこと(上記『公文録』収録の文書、また『竹島渡海由来記抜書控』)によると考えられ、“ほか一島”について地籍を編制するなら松島も忘れてはならないというような考えであったと思われる。
島根県からの「伺」を受けて、内務省は、翌明治10年(1877年)3月、元禄年間の日朝交渉の記録に基づき、「竹島所轄之儀ニ付島根県ヨリ別紙伺出取調候処該島之儀ハ・・・本邦関係無之相聞候得共版図之取捨ハ重大之事件ニ付島根県ヨリ別紙相添為念此段相伺候也」として右大臣に伺いをたてた。右大臣は、同3月29日付で、内務省案のとおり、「伺之趣竹島外一島之儀本邦関係無之儀ト心得事」と指示した。
以上要するに、島根県は“竹島(鬱陵島)”について内務省から照会を受け、県としては地籍を編纂する方向で「竹島外一島」の地籍編纂方伺いを提出し、内務省は“竹島”(鬱陵島)をめぐる元禄の記録に基づいて「竹島は本邦無関係」であると考え、右大臣は「竹島外一島」が本邦無関係と指示した。
この結果、元禄の日朝交渉で松島(今日の竹島)が話題になったことはなく(前記3)、内務省が検討し右大臣への伺いに別紙として添付した日朝交渉関係文書ももっぱら“竹島”(鬱陵島)に関するものであったにもかかわらず、形式的には、松島(今日の竹島)もまた「本邦無関係」とされることになったのである。『公文録』所収の一件資料は、韓国側の竹島領有主張を支持する日本人研究者によって紹介された(注1)。
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塚本氏のいう「韓国側の竹島領有主張を支持する日本人研究者」とは堀和生氏を指すと思われますが、そうであれば、それは堀氏を誤解しています。同氏自身は、国際法上の領有権問題は歴史的な領有とは別問題であると述べたのを私はたしか新聞で読んだ記憶があります。
そのとおりだと思います。歴史的に領有がいかに正当であっても、侵略戦争を合法的と考える「狼どもの国際法」如何によっては一夜にして領有権者がひっくり返ることもあるので当然です。
戦後のポーランドやドイツなどでは、ドイツの侵略戦争にたいする賠償の意味もあってか、国境が大きく変動しました。こうした国では、ついぞ歴史的な「固有領土」の主張をあまり耳にしません。国境変動が当たり前の国々では「固有領土」の主張はあまり意味がないのでしょうか。
(つづく)
これは メッセージ 796 (yusura_sdhk さん)への返信です.
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