竹島=独島は見えるか(2)
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/03/27 10:27 投稿番号: [7910 / 18519]
したがって目の能力からすれば、竹島(独島)は肉眼で十分観測可能とい
えますが、問題は気象条件です。島の明るさや大気の清澄度、気温と水温の差
によっては、たとえ望遠鏡を使っても見えません。
島の明るさからいうと、浅見さんのコメントにあったように西日が射す午
後や夕方が有利なようです。
また大気の温度は海水温よりかなり低いと海面にもやがたつので、寒風が
強い日は無理と思われます。他方、大気の清澄度は天高く馬肥える秋が一番と
いえます。
こうしてみると、竹島(独島)を見やすいのは秋の午後といえます。軍艦
「新高」が、鬱陵島の望楼台から竹島(独島)を観測した日付が9月25日に
なっているのもうなずけるところです。
ところで、気象条件は最良と仮定して見える距離 D(海里)と見る人の高度
h(m)や対象物の高さ H(m)の関係式は下記のようになります(注4)。ただし
RTSQは平方根を表します。また、1海里は 1852mになります。
D = 2.09 (RTSQ(H) + RTSQ(h))
この式を使って、島の見え方を梶村氏はこう解説しました(注3)。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
竹島=独島の最高峰を 174m として計算したばあい、49海里離れた鬱陵
島からでも、海抜 120m以上の所からなら見えることになる。ただし 120m地点
からでは、頂上の一点が点として見えるにすぎない。
竹島=独島の海抜 50m以上の部分が面として視認できるのは、鬱陵島の海
抜 284mの地点である。また海抜 200mの地点からなら、約 96m以上の部分が見
えることになり、少なくとも竹島=独島の西島頂部の三角形が見えることにな
る。
つまり鬱陵島の、200 - 300m の高度の東南がひらけた場所からなら、竹
島=独島は水平線上に小さくではあるがとにかく見える。そうした視認可能地
点は地図を開いてみれば鬱陵島には随処にあることが分かる。
・・・
1438年に空島政策が最終的に実行されるまでは少なくとも、公式的に
も鬱陵島には多くの朝鮮人民が定住していた。
つまり当然漁業だけではなく農業を行っていたと推定されるのだが、鬱陵
島もやはり海岸部は概して急峻で、むしろ 200 - 300mの台地上に比較的平坦
な開墾適地が多く、現在もそんな土地に少なからず人家があり畑が開かれてい
る。
特に旧時の火田式農耕なら、そんな土地がまず開墾された可能性が高いは
ずなのである。従って、(川上氏がいうように)密林にさえぎられてどこから
も見えなかったとはどうしても考えられない。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
梶村説からすると、鬱陵島から竹島(独島)が実際に見えたようです。そ
うならば、『世宗実録』にある「二つの島はそれほど離れておらず、天気が清
明な日には望み見ることができる」という記述はやはり妥当と思われます。
同時に、多くの資料や地図が、竹島(独島)は鬱陵島の属島ないし兄弟島
として扱ってきたことも納得がいきます。これについて梶村氏はこう続けまし
た。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
両島の関係は、八丈島と青ヶ島の関係のようなもので、兄弟島と規定する
ことは、自然地理学的に不自然な主張とはいえない。
現在の国際法ないしは慣行では、決して自然地理学的条件が領土問題のき
めてとはされていないが、兄弟島であることが歴史的経緯に影響をもたなかっ
たはずはない。
実際、日本側でも昔は両島をそうした関係のものととらえてきたといえる。
後述のように、江戸時代の日本では鬱陵島を「竹島」ないし「磯竹島」と呼び、
いまの竹島=独島を「松島」と呼んでいたが、松も生えないのに「松島」と呼
ぶのは、「竹島」の呼称の方が先にあって、それと対になる名称として後から
生まれたものとしか理解しがたいのである。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(つづく)
えますが、問題は気象条件です。島の明るさや大気の清澄度、気温と水温の差
によっては、たとえ望遠鏡を使っても見えません。
島の明るさからいうと、浅見さんのコメントにあったように西日が射す午
後や夕方が有利なようです。
また大気の温度は海水温よりかなり低いと海面にもやがたつので、寒風が
強い日は無理と思われます。他方、大気の清澄度は天高く馬肥える秋が一番と
いえます。
こうしてみると、竹島(独島)を見やすいのは秋の午後といえます。軍艦
「新高」が、鬱陵島の望楼台から竹島(独島)を観測した日付が9月25日に
なっているのもうなずけるところです。
ところで、気象条件は最良と仮定して見える距離 D(海里)と見る人の高度
h(m)や対象物の高さ H(m)の関係式は下記のようになります(注4)。ただし
RTSQは平方根を表します。また、1海里は 1852mになります。
D = 2.09 (RTSQ(H) + RTSQ(h))
この式を使って、島の見え方を梶村氏はこう解説しました(注3)。
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竹島=独島の最高峰を 174m として計算したばあい、49海里離れた鬱陵
島からでも、海抜 120m以上の所からなら見えることになる。ただし 120m地点
からでは、頂上の一点が点として見えるにすぎない。
竹島=独島の海抜 50m以上の部分が面として視認できるのは、鬱陵島の海
抜 284mの地点である。また海抜 200mの地点からなら、約 96m以上の部分が見
えることになり、少なくとも竹島=独島の西島頂部の三角形が見えることにな
る。
つまり鬱陵島の、200 - 300m の高度の東南がひらけた場所からなら、竹
島=独島は水平線上に小さくではあるがとにかく見える。そうした視認可能地
点は地図を開いてみれば鬱陵島には随処にあることが分かる。
・・・
1438年に空島政策が最終的に実行されるまでは少なくとも、公式的に
も鬱陵島には多くの朝鮮人民が定住していた。
つまり当然漁業だけではなく農業を行っていたと推定されるのだが、鬱陵
島もやはり海岸部は概して急峻で、むしろ 200 - 300mの台地上に比較的平坦
な開墾適地が多く、現在もそんな土地に少なからず人家があり畑が開かれてい
る。
特に旧時の火田式農耕なら、そんな土地がまず開墾された可能性が高いは
ずなのである。従って、(川上氏がいうように)密林にさえぎられてどこから
も見えなかったとはどうしても考えられない。
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梶村説からすると、鬱陵島から竹島(独島)が実際に見えたようです。そ
うならば、『世宗実録』にある「二つの島はそれほど離れておらず、天気が清
明な日には望み見ることができる」という記述はやはり妥当と思われます。
同時に、多くの資料や地図が、竹島(独島)は鬱陵島の属島ないし兄弟島
として扱ってきたことも納得がいきます。これについて梶村氏はこう続けまし
た。
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両島の関係は、八丈島と青ヶ島の関係のようなもので、兄弟島と規定する
ことは、自然地理学的に不自然な主張とはいえない。
現在の国際法ないしは慣行では、決して自然地理学的条件が領土問題のき
めてとはされていないが、兄弟島であることが歴史的経緯に影響をもたなかっ
たはずはない。
実際、日本側でも昔は両島をそうした関係のものととらえてきたといえる。
後述のように、江戸時代の日本では鬱陵島を「竹島」ないし「磯竹島」と呼び、
いまの竹島=独島を「松島」と呼んでいたが、松も生えないのに「松島」と呼
ぶのは、「竹島」の呼称の方が先にあって、それと対になる名称として後から
生まれたものとしか理解しがたいのである。
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(つづく)
これは メッセージ 7909 (hangetsujoh さん)への返信です.
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