下條正男氏への批判、竹島=独島放棄2
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/12/05 18:35 投稿番号: [6153 / 18519]
この文に記載された松島、竹島の位置関係を整理すると下記のようになります。
隠岐 ー(80里)ー 松島 ー(40里)ー 竹島
ここに記載された島同士の距離は、欧米の地図に影響されていない江戸時代の松島、竹島を記した他の史料ともよく合致します。また、島同士の相対的な距離関係や島の大きさや様子などが現在の竹島=独島および鬱陵島に大筋で合致するし、隠岐の沖合に上記の距離くらい隔たった島は明らかに鬱陵島と竹島=独島の二島しか存在しません。
したがって「島根伺い」で「外一島」と記載された松島は現在の竹島=独島をさしていることは疑いありません。これは「竹島日本領派」の塚本孝氏すら認めました。同氏はこう記しました。
「この“竹島”は鬱陵島のことであり“ほか一島”は同じく江戸時代に渡海した松島すなわち今日の竹島のことである(注5)」
ところが、下條氏は肝腎かなめの「島根伺い」の内容には目もくれず、例の「我田引水的 文献解釈」をもちだしてか、「一島」を松島(竹島=独島)と解釈しない理由をこう書きました。
<もしその「一島」が今日の竹島だったとすれば、「本邦関係これ無き」というはずがない。佐田白茅の報告を考察した際と同じ議論で、今日の竹島を日本領とする「書留」がすでにいくつもあったからである(注2)>
下條氏は「一島」が今日の竹島=独島かどうかを検討するのに、本丸である「一島」を説明した「島根伺い」の関連文書を吟味するのではなく、かわりに三の丸あたりをこね回し、松島(竹島=独島)を日本領とする「書留」があるから太政官は「本邦関係これ無き」というはずがないとしました。その論法には唖然とせざるをえません。
それでも一応は下條氏の考えを聞いてみることにします。同氏は、松島(竹島=独島)を日本領とする「書留」として三つの資料を持ちだしました。
(1)『隠州視聴合紀』
(2)『竹島図説』
(3)『長生竹島記』
しかし、これらの文献は、松島(竹島=独島)を日本領とするにはほど遠い史料であることはすでに論破したとおりです(注6)。したがって、それらの「書留」がなんら根拠とならないことがはっきりした以上、下條氏の説は砂上の楼閣のように土台からくずれさるしかありません。
さらにつけ加えるなら「一島」を不明とする下條氏は、それなら「一島」はどこかという点にはまったくふれませんでした。それは竹島=独島以外に候補が考えられないので、安易にほかの島に比定するのが困難だったようです。
(注1)半月城通信<明治政府の竹島=独島放棄>
http://www.han.org/a/half-moon/hm084.html#No.580
(注2)下條正男『竹島は日韓どちらのものか』文春新書、2004,P123
(注3)半月城通信<島根県から内務省宛「竹島外一島」伺い書(1)>
http://www.han.org/a/half-moon/hm082.html#No.564
(注4)半月城通信<島根県から内務省宛「竹島外一島」伺い書(2)>
http://www.han.org/a/half-moon/hm082.html#No.565
(注5)塚本孝「竹島領有権問題の経緯」『調査と情報』第289号,1996,P5
(注6)半月城通信<竹島=独島「日本の固有領土」説の検証>
http://www.han.org/a/half-moon/hm105.html#No.770
隠岐 ー(80里)ー 松島 ー(40里)ー 竹島
ここに記載された島同士の距離は、欧米の地図に影響されていない江戸時代の松島、竹島を記した他の史料ともよく合致します。また、島同士の相対的な距離関係や島の大きさや様子などが現在の竹島=独島および鬱陵島に大筋で合致するし、隠岐の沖合に上記の距離くらい隔たった島は明らかに鬱陵島と竹島=独島の二島しか存在しません。
したがって「島根伺い」で「外一島」と記載された松島は現在の竹島=独島をさしていることは疑いありません。これは「竹島日本領派」の塚本孝氏すら認めました。同氏はこう記しました。
「この“竹島”は鬱陵島のことであり“ほか一島”は同じく江戸時代に渡海した松島すなわち今日の竹島のことである(注5)」
ところが、下條氏は肝腎かなめの「島根伺い」の内容には目もくれず、例の「我田引水的 文献解釈」をもちだしてか、「一島」を松島(竹島=独島)と解釈しない理由をこう書きました。
<もしその「一島」が今日の竹島だったとすれば、「本邦関係これ無き」というはずがない。佐田白茅の報告を考察した際と同じ議論で、今日の竹島を日本領とする「書留」がすでにいくつもあったからである(注2)>
下條氏は「一島」が今日の竹島=独島かどうかを検討するのに、本丸である「一島」を説明した「島根伺い」の関連文書を吟味するのではなく、かわりに三の丸あたりをこね回し、松島(竹島=独島)を日本領とする「書留」があるから太政官は「本邦関係これ無き」というはずがないとしました。その論法には唖然とせざるをえません。
それでも一応は下條氏の考えを聞いてみることにします。同氏は、松島(竹島=独島)を日本領とする「書留」として三つの資料を持ちだしました。
(1)『隠州視聴合紀』
(2)『竹島図説』
(3)『長生竹島記』
しかし、これらの文献は、松島(竹島=独島)を日本領とするにはほど遠い史料であることはすでに論破したとおりです(注6)。したがって、それらの「書留」がなんら根拠とならないことがはっきりした以上、下條氏の説は砂上の楼閣のように土台からくずれさるしかありません。
さらにつけ加えるなら「一島」を不明とする下條氏は、それなら「一島」はどこかという点にはまったくふれませんでした。それは竹島=独島以外に候補が考えられないので、安易にほかの島に比定するのが困難だったようです。
(注1)半月城通信<明治政府の竹島=独島放棄>
http://www.han.org/a/half-moon/hm084.html#No.580
(注2)下條正男『竹島は日韓どちらのものか』文春新書、2004,P123
(注3)半月城通信<島根県から内務省宛「竹島外一島」伺い書(1)>
http://www.han.org/a/half-moon/hm082.html#No.564
(注4)半月城通信<島根県から内務省宛「竹島外一島」伺い書(2)>
http://www.han.org/a/half-moon/hm082.html#No.565
(注5)塚本孝「竹島領有権問題の経緯」『調査と情報』第289号,1996,P5
(注6)半月城通信<竹島=独島「日本の固有領土」説の検証>
http://www.han.org/a/half-moon/hm105.html#No.770
これは メッセージ 6152 (hangetsujoh さん)への返信です.
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