「松島(竹島=独島)渡海免許」の創作
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/10/03 18:31 投稿番号: [5719 / 18519]
半月城です。ML[zainichi]に書いた文を転載します。
めずらしいことがあるものです。ここのメーリングリストで竹島=独島問題に関する私の書き込みに反応があったのは何年ぶりでしょうか。
RE:[zainichi:28275]
>読ませて頂いてちょっと分からない点ですが、川上健三氏の「渡海免許」というのは何を根拠にしているのでしょうか?
外務省の官僚であった川上健三氏は、江戸時代に「竹島渡海免許」を受けて竹島(鬱陵島)へ渡航していた大谷(おおや)家に伝わる古文献を引用し、我田引水的に「松島(竹島=独島)渡海免許」をひねりだしました。
その背景や妥当性を名古屋大学の池内敏氏がうまくまとめていますので、それを紹介することにします。
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「寛文元年 松島渡海免許」
延宝九(1681)年、幕府巡検使に対する請書のなかで三代目 大谷九右衛門(勝信)は、「竹嶋之道筋ニ 弐十町斗廻り申小嶋」を「二十四 五年以前、阿部四郎五郎様 御取持を以 拝領、船渡海仕候」と述べる。
ここにいう「小嶋」とはおそらく松島(現在の竹島/独島)であり、この史料から、1650年代半ばころから松島渡海の始まったことが知られる。
こののち、四代目 大谷九右衛門(勝房)は元文 元(1740)年四月、寺社奉行に提出した請書のなかで三代目 九右衛門とほぼ同文によって松島拝領と渡海について述べる。
川上健三は、この三代、四代ふたりの九右衛門の記述を根拠にして松島渡海免許が幕府によって出されたことが明白だとする。その上で川上は、万治二(1659)年に阿部四郎五郎が松島渡海に関する幕府の内意を得、寛文 元(1661)年から大谷家の松島渡海が始まったと推測する。
ところで、三代目 大谷九右衛門は松島拝領と渡海について述べるものの、「寛文初年 竹嶋渡海免許」のごとき文書の存在には言及しない。
また、寛文六(1666)年、大谷船が朝鮮に漂着して対馬藩による所持品検査がなされた際、「竹島渡海免許」は見いだされたが「松島渡海免許」なるものは見当たらない。
発行からわずか十年を隔てない時期に、大谷船はなぜゆえに免許を携行しなかったのだろうか(注1,P34)。
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池内氏はこうした素朴な疑問から出発して史料を検証しました。その一端は下記に紹介したとおりです。
<「松島(竹島=独島)渡海免許」>
http://www.han.org/a/half-moon/hm091.html#No.656
結論として池内氏はこう記しました。
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以上を要するに、「松島渡海免許」なるものは存在しないのである。万治〜寛文の交に現れた自体は新たな渡海免許の発行ではなく、渡海をめぐる大谷・村川両家の利害調整に過ぎなかった。寛文六年、竹島渡海の帰りに漂流した大谷船が「寛永初年 竹島渡海免許」の写のみを携行し、松島渡海免許を携行しなかったのは蓋(けだ)し当然であった(注1,P38)。
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史料を丹念に検討すれば「松島渡海免許」は存在しないという結論が妥当なところを、川上健三氏は「竹島日本領説」に執着するあまり「松島渡海免許」を創作してしまったようです。ありもしないものを創作する行為、これは捏造といっても過言ではありません。
川上健三説には「竹島日本領派」の学者も公然と疑義をとなえました。具体的にいうと、国会図書館の塚本孝氏は遠慮がちに「松島(今日の竹島)については“竹島”の場合のような渡海許可の公文書は残っていない(恐らく出されなかった)(注2)」と記しました。
川上健三氏の意見が日本政府の主張の根幹になったようですが、そうした捏造史料を基礎に外務省は「竹島は日本の固有領土」という主張を続けてきたことになります。
なお、最近の竹島=独島に関する日本の本は「松島渡海免許」についてまったくふれていないようです。内藤正中氏や大西俊輝氏、はては下條正男氏までもが「松島渡海免許」にソッポを向いているようです。
その一方で、韓国の代表的な論者である愼𨉷廈氏が「松島渡海免許」を信じているようでまったく皮肉なものです。
(注1)池内敏「竹島渡海と鳥取藩」『鳥取地域史研究』鳥取地域史研究会発行,1999
(注2)塚本孝「竹島領有権問題の経緯」『調査と情報』第289号、
国会図書館,1996, P2
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
めずらしいことがあるものです。ここのメーリングリストで竹島=独島問題に関する私の書き込みに反応があったのは何年ぶりでしょうか。
RE:[zainichi:28275]
>読ませて頂いてちょっと分からない点ですが、川上健三氏の「渡海免許」というのは何を根拠にしているのでしょうか?
外務省の官僚であった川上健三氏は、江戸時代に「竹島渡海免許」を受けて竹島(鬱陵島)へ渡航していた大谷(おおや)家に伝わる古文献を引用し、我田引水的に「松島(竹島=独島)渡海免許」をひねりだしました。
その背景や妥当性を名古屋大学の池内敏氏がうまくまとめていますので、それを紹介することにします。
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「寛文元年 松島渡海免許」
延宝九(1681)年、幕府巡検使に対する請書のなかで三代目 大谷九右衛門(勝信)は、「竹嶋之道筋ニ 弐十町斗廻り申小嶋」を「二十四 五年以前、阿部四郎五郎様 御取持を以 拝領、船渡海仕候」と述べる。
ここにいう「小嶋」とはおそらく松島(現在の竹島/独島)であり、この史料から、1650年代半ばころから松島渡海の始まったことが知られる。
こののち、四代目 大谷九右衛門(勝房)は元文 元(1740)年四月、寺社奉行に提出した請書のなかで三代目 九右衛門とほぼ同文によって松島拝領と渡海について述べる。
川上健三は、この三代、四代ふたりの九右衛門の記述を根拠にして松島渡海免許が幕府によって出されたことが明白だとする。その上で川上は、万治二(1659)年に阿部四郎五郎が松島渡海に関する幕府の内意を得、寛文 元(1661)年から大谷家の松島渡海が始まったと推測する。
ところで、三代目 大谷九右衛門は松島拝領と渡海について述べるものの、「寛文初年 竹嶋渡海免許」のごとき文書の存在には言及しない。
また、寛文六(1666)年、大谷船が朝鮮に漂着して対馬藩による所持品検査がなされた際、「竹島渡海免許」は見いだされたが「松島渡海免許」なるものは見当たらない。
発行からわずか十年を隔てない時期に、大谷船はなぜゆえに免許を携行しなかったのだろうか(注1,P34)。
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池内氏はこうした素朴な疑問から出発して史料を検証しました。その一端は下記に紹介したとおりです。
<「松島(竹島=独島)渡海免許」>
http://www.han.org/a/half-moon/hm091.html#No.656
結論として池内氏はこう記しました。
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以上を要するに、「松島渡海免許」なるものは存在しないのである。万治〜寛文の交に現れた自体は新たな渡海免許の発行ではなく、渡海をめぐる大谷・村川両家の利害調整に過ぎなかった。寛文六年、竹島渡海の帰りに漂流した大谷船が「寛永初年 竹島渡海免許」の写のみを携行し、松島渡海免許を携行しなかったのは蓋(けだ)し当然であった(注1,P38)。
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史料を丹念に検討すれば「松島渡海免許」は存在しないという結論が妥当なところを、川上健三氏は「竹島日本領説」に執着するあまり「松島渡海免許」を創作してしまったようです。ありもしないものを創作する行為、これは捏造といっても過言ではありません。
川上健三説には「竹島日本領派」の学者も公然と疑義をとなえました。具体的にいうと、国会図書館の塚本孝氏は遠慮がちに「松島(今日の竹島)については“竹島”の場合のような渡海許可の公文書は残っていない(恐らく出されなかった)(注2)」と記しました。
川上健三氏の意見が日本政府の主張の根幹になったようですが、そうした捏造史料を基礎に外務省は「竹島は日本の固有領土」という主張を続けてきたことになります。
なお、最近の竹島=独島に関する日本の本は「松島渡海免許」についてまったくふれていないようです。内藤正中氏や大西俊輝氏、はては下條正男氏までもが「松島渡海免許」にソッポを向いているようです。
その一方で、韓国の代表的な論者である愼𨉷廈氏が「松島渡海免許」を信じているようでまったく皮肉なものです。
(注1)池内敏「竹島渡海と鳥取藩」『鳥取地域史研究』鳥取地域史研究会発行,1999
(注2)塚本孝「竹島領有権問題の経緯」『調査と情報』第289号、
国会図書館,1996, P2
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 5707 (hangetsujoh さん)への返信です.
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