全く確かではないですね
投稿者: llllowollll 投稿日時: 2004/07/14 23:36 投稿番号: [5399 / 18519]
師匠少しは意地を見せましたか
しかし内容は何の新鮮味もないね
師匠 Wrote
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>成宗7年10月丁酉条には三峯島捜得の記事があり、且つ金自周が鬱陵島ではない島に至った旨の記述がある。「謂往年朴宗元 由江原道 發船遭風 不至而還」
>つまり朴宗元は三峯島に到達できずに鬱陵島に立ち寄って帰還した事実もまた成宗実録に記されているので、このことから三峯島は鬱陵島で有り得ないことが立証されて居る。
--
いったい、どうしたら立証された気になるのか?
事実は同行した船員が過去に鬱陵島に立ち寄ったことがあるかもしれないというだけ
・船員がどこまで探検の目的を理解していたか不明
・たった一度立ち寄った絶海の孤島(鬱陵島)にもう一度たどり着いたところで同じ島であると確信が持てるとは限らない(眺める方向が違えば全く分からない)
・探検隊が何の成果も出さずに戻るのはかなりの重圧があるに違いない
これらの理由により、AHO師匠の前述の仮定は立証どころか、成立する可能性が低い
しかしながら何よりも
・そこに記述された特徴が鬱陵島そのものである
という最も重要な事実により、
「探索隊は竹島には到達していない」
と結論付けられます
屁理屈だけでは誰も納得させられませんよ
師匠 Wrote
--
>三峯島捜得は国家事業であるので、先占の要件の幾つかに合致すると思われる。
>1.その主体が「国家」であること。
>2.その客体が「無主地」であること。
>成宗7年は即ち1476年(15世紀)であるから、17世紀の大谷家の渡航よりも早かったことになる。
>3.さて、その領有の意思は朝鮮王朝の地誌に記述されたことで示されている。
>最低でも以上の3点は「先占」の要件に合致するものと思う。
--
いや、単なる国家による探検の記録ですね
それ以上の意味はない
しかも竹島に到達した痕跡すら見出せない
発見したのが確かであったとしても権原は成立しないのに、到達したことすら怪しい文書の何をもって根拠をするつもりか?
師匠 Wrote
>17世紀以降「倭の松島は朝鮮の于山島」とする見解が朝鮮王国の種々の公文書で定着した事実もあり、当該地域に対する支配権を継続的に公文書で表示した事実をどう解釈するかだろうと思われる。
--
あくまで「倭」頼りですか(笑
しかも「倭の松島は朝鮮の于山島」とする根拠は単なる犯罪人の勘違い
倭の松島は鬱陵島より大きかったそうですが、いったいどこの島のことを指してんでしょうね?
また韓国の地図によると、鬱陵島の西にある島とか、北東のすぐ近くの島を于山島と呼んでたらしいが、少なくとも今の竹島でないことだけは明確ですね
師匠 Wrote
--
>以上、現時点での愚生の見解として簡単にまとめておいた。
--
まあ見解は自由でしょう。しかしながら何の説得力もないのも確かです。
しかし内容は何の新鮮味もないね
師匠 Wrote
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>成宗7年10月丁酉条には三峯島捜得の記事があり、且つ金自周が鬱陵島ではない島に至った旨の記述がある。「謂往年朴宗元 由江原道 發船遭風 不至而還」
>つまり朴宗元は三峯島に到達できずに鬱陵島に立ち寄って帰還した事実もまた成宗実録に記されているので、このことから三峯島は鬱陵島で有り得ないことが立証されて居る。
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いったい、どうしたら立証された気になるのか?
事実は同行した船員が過去に鬱陵島に立ち寄ったことがあるかもしれないというだけ
・船員がどこまで探検の目的を理解していたか不明
・たった一度立ち寄った絶海の孤島(鬱陵島)にもう一度たどり着いたところで同じ島であると確信が持てるとは限らない(眺める方向が違えば全く分からない)
・探検隊が何の成果も出さずに戻るのはかなりの重圧があるに違いない
これらの理由により、AHO師匠の前述の仮定は立証どころか、成立する可能性が低い
しかしながら何よりも
・そこに記述された特徴が鬱陵島そのものである
という最も重要な事実により、
「探索隊は竹島には到達していない」
と結論付けられます
屁理屈だけでは誰も納得させられませんよ
師匠 Wrote
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>三峯島捜得は国家事業であるので、先占の要件の幾つかに合致すると思われる。
>1.その主体が「国家」であること。
>2.その客体が「無主地」であること。
>成宗7年は即ち1476年(15世紀)であるから、17世紀の大谷家の渡航よりも早かったことになる。
>3.さて、その領有の意思は朝鮮王朝の地誌に記述されたことで示されている。
>最低でも以上の3点は「先占」の要件に合致するものと思う。
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いや、単なる国家による探検の記録ですね
それ以上の意味はない
しかも竹島に到達した痕跡すら見出せない
発見したのが確かであったとしても権原は成立しないのに、到達したことすら怪しい文書の何をもって根拠をするつもりか?
師匠 Wrote
>17世紀以降「倭の松島は朝鮮の于山島」とする見解が朝鮮王国の種々の公文書で定着した事実もあり、当該地域に対する支配権を継続的に公文書で表示した事実をどう解釈するかだろうと思われる。
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あくまで「倭」頼りですか(笑
しかも「倭の松島は朝鮮の于山島」とする根拠は単なる犯罪人の勘違い
倭の松島は鬱陵島より大きかったそうですが、いったいどこの島のことを指してんでしょうね?
また韓国の地図によると、鬱陵島の西にある島とか、北東のすぐ近くの島を于山島と呼んでたらしいが、少なくとも今の竹島でないことだけは明確ですね
師匠 Wrote
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>以上、現時点での愚生の見解として簡単にまとめておいた。
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まあ見解は自由でしょう。しかしながら何の説得力もないのも確かです。
これは メッセージ 5397 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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